KILLING TIME同様、80年代に活動していた大好きなバンドの一つに
リアルフィッシュというグループがある。
2008年3月17日月曜日
2008年3月16日日曜日
ハーフポテトな俺たち
阪神がはじめて日本一になった1985年。その年の秋に放送されていたドラマ「ハーフポテトな俺たち」。当時、大好きでかかさず見ていた思い出のテレビドラマです。
そのドラマの主人公を演じていたのが中山秀征。そう「ヒデちゃん」なのである。彼がデビュー間もない頃の初主演作品で、共演は河合美智子(オーロラ輝子!)、柳沢慎吾、香坂みゆき、今井美樹、桑名正博、等々・・・結構すごい人たちが脇を固めていたんですね。
実は今日のお昼の番組「ウチくる」というヒデちゃん司会の番組のゲストが当時の共演者の一人、柳沢慎吾氏。ドラマは、渋谷にあるハンバーガーショップ「ダディーズ」が舞台で、ここでバイトとして働く主人公の高校生役として秀ちゃんが出演していたのです。そして、その職場のバイト・チーフ役が慎吾さんだったんですね。二人はなんと、22年ぶりの番組共演とのこと。番組出演時は18歳と23歳だったという二人。思わず、「チーフ!」「久しぶり~!」と感激の再会シーン。
そんな二人以上に、見ている私の方が興奮してしまったのであるが、当時、どんな風にこのドラマを見ていたか、どんな時代背景だったかなどいろいろなことが瞬時によみがえってくるくらい、このドラマに入り込んで見ていた私。懐かしのドラマシーンがちらりと映りましたが、どんなのシーンのひとコマだったのか今でもわかってしまったくらい好きでよく見ていました。
視聴率的には振るわず、その後の再放送もほとんどされずに20年以上経って現在に至るという感じだと思うのですが、このドラマからレベッカの「フレンズ」という大ヒット曲が生まれているんですよね。そういう意味では、その後このドラマの再放送がバンバン行われてもよかったんじゃないの?と思うのですが、なぜか幻のドラマと化してしまったのです。でも、懐かしいな。ホントに22年も経ってしまったの?!という驚きも。
このドラマをきっかけに、バーガーショップでバイトしたいと思った人はかなりいたでしょうね。ドラマの中のような、かわいい女の子とわいわい楽しく働ける・・・そんな幻想を私も思いきり抱きました。さすがにバーガーショップでバイトするまでには至りませんでしたが、友人が何人か○クドナルドで働いていたのを知って嫉妬したり(笑)。
主人公のかおるくん(中山秀征)は年上の女性バイト・さなえ(香坂みゆき)に恋をするんですね。ところが、そんな彼に同い年のバイト・しずか(河合美智子)が思いをよせている。その三角関係を軸に、元暴走族の同僚・秀吉(湯江健幸)やしずかの親友のり子(黒沢ひろみ)らがからみ、両親やダディーズの仲間を巻き込んでの青春群像劇・・・そんなドラマがこの「ハーフポテトな俺たち」だったんです。
ダディーズの店長が、あの「セクシャルバイオレットNo.1」の桑名正博さんなのですが、これがまた妙にはまっていたんですね。元硬派で鳴らしたという感じで、時々不良に売り場を荒らされることもあるのですが、毅然と対処するかっこよさがありました。そして、さなえの親友で夜はスナックでカウンターに立つ女・けいこ。演じるのは今井美樹さん。彼女もデビューして間もない頃の出演だったと思います。今と違ってぽちゃっとしたかわいらしさがあって、当時の私は彼女のファンでした。同じクラスにいたら、絶対好きになっているタイプでしたね(笑)。で、そのけいこちゃんに思いを寄せているのが慎吾さん演じるチーフという設定だったんですね。う~ん、懐かしい!しっかり覚えているものだ。
そんなドラマのうら話も一部、番組で聞けたのですが、それが慎吾さんお得意の一人再現ドラマというやつで、もう腹をかかえて笑いました(笑)。ドラマの後半で山形の温泉のある旅館に一泊するというエピソードがあるのですが、その時のうら話で、翌朝早いので速攻で寝るように言われたにも関わらず、慎吾さんがナイショでメンバーと合流した事がプロデューサーにバレて、ものすごく怒られたという話。そのシーンをつい先ほどの話のように詳しく再現する様が最高で、「ネタでしょ、これ!」(笑)って感じで、すごく面白かったです。
ちょうど、主人公かおるくんと同じくらいの世代だったこともあり、多感な時期ゆえ、このドラマ世界に共感できる部分が多くて、自分も出演者の一人のつもりで入り込んで見ていた記憶がありますね。この時期は他に「青が散る」とか「金八先生」とか好きなドラマもたくさんありましたが、「ハーフポテト」ほどその中に自分がいたドラマはなかった・・・それくらい好きだったドラマでした。22年前かぁ・・・年とったものだなぁ(苦笑)。
そのドラマの主人公を演じていたのが中山秀征。そう「ヒデちゃん」なのである。彼がデビュー間もない頃の初主演作品で、共演は河合美智子(オーロラ輝子!)、柳沢慎吾、香坂みゆき、今井美樹、桑名正博、等々・・・結構すごい人たちが脇を固めていたんですね。
実は今日のお昼の番組「ウチくる」というヒデちゃん司会の番組のゲストが当時の共演者の一人、柳沢慎吾氏。ドラマは、渋谷にあるハンバーガーショップ「ダディーズ」が舞台で、ここでバイトとして働く主人公の高校生役として秀ちゃんが出演していたのです。そして、その職場のバイト・チーフ役が慎吾さんだったんですね。二人はなんと、22年ぶりの番組共演とのこと。番組出演時は18歳と23歳だったという二人。思わず、「チーフ!」「久しぶり~!」と感激の再会シーン。
そんな二人以上に、見ている私の方が興奮してしまったのであるが、当時、どんな風にこのドラマを見ていたか、どんな時代背景だったかなどいろいろなことが瞬時によみがえってくるくらい、このドラマに入り込んで見ていた私。懐かしのドラマシーンがちらりと映りましたが、どんなのシーンのひとコマだったのか今でもわかってしまったくらい好きでよく見ていました。
視聴率的には振るわず、その後の再放送もほとんどされずに20年以上経って現在に至るという感じだと思うのですが、このドラマからレベッカの「フレンズ」という大ヒット曲が生まれているんですよね。そういう意味では、その後このドラマの再放送がバンバン行われてもよかったんじゃないの?と思うのですが、なぜか幻のドラマと化してしまったのです。でも、懐かしいな。ホントに22年も経ってしまったの?!という驚きも。
このドラマをきっかけに、バーガーショップでバイトしたいと思った人はかなりいたでしょうね。ドラマの中のような、かわいい女の子とわいわい楽しく働ける・・・そんな幻想を私も思いきり抱きました。さすがにバーガーショップでバイトするまでには至りませんでしたが、友人が何人か○クドナルドで働いていたのを知って嫉妬したり(笑)。
主人公のかおるくん(中山秀征)は年上の女性バイト・さなえ(香坂みゆき)に恋をするんですね。ところが、そんな彼に同い年のバイト・しずか(河合美智子)が思いをよせている。その三角関係を軸に、元暴走族の同僚・秀吉(湯江健幸)やしずかの親友のり子(黒沢ひろみ)らがからみ、両親やダディーズの仲間を巻き込んでの青春群像劇・・・そんなドラマがこの「ハーフポテトな俺たち」だったんです。
ダディーズの店長が、あの「セクシャルバイオレットNo.1」の桑名正博さんなのですが、これがまた妙にはまっていたんですね。元硬派で鳴らしたという感じで、時々不良に売り場を荒らされることもあるのですが、毅然と対処するかっこよさがありました。そして、さなえの親友で夜はスナックでカウンターに立つ女・けいこ。演じるのは今井美樹さん。彼女もデビューして間もない頃の出演だったと思います。今と違ってぽちゃっとしたかわいらしさがあって、当時の私は彼女のファンでした。同じクラスにいたら、絶対好きになっているタイプでしたね(笑)。で、そのけいこちゃんに思いを寄せているのが慎吾さん演じるチーフという設定だったんですね。う~ん、懐かしい!しっかり覚えているものだ。
そんなドラマのうら話も一部、番組で聞けたのですが、それが慎吾さんお得意の一人再現ドラマというやつで、もう腹をかかえて笑いました(笑)。ドラマの後半で山形の温泉のある旅館に一泊するというエピソードがあるのですが、その時のうら話で、翌朝早いので速攻で寝るように言われたにも関わらず、慎吾さんがナイショでメンバーと合流した事がプロデューサーにバレて、ものすごく怒られたという話。そのシーンをつい先ほどの話のように詳しく再現する様が最高で、「ネタでしょ、これ!」(笑)って感じで、すごく面白かったです。
ちょうど、主人公かおるくんと同じくらいの世代だったこともあり、多感な時期ゆえ、このドラマ世界に共感できる部分が多くて、自分も出演者の一人のつもりで入り込んで見ていた記憶がありますね。この時期は他に「青が散る」とか「金八先生」とか好きなドラマもたくさんありましたが、「ハーフポテト」ほどその中に自分がいたドラマはなかった・・・それくらい好きだったドラマでした。22年前かぁ・・・年とったものだなぁ(苦笑)。
2008年3月15日土曜日
世にも奇妙な物語
最近は毎年、春と秋の2回、特別編として放送されているフジテレビ系オムニバスドラマ「世にも奇妙な物語」。その季節が今年もやってきた。
この番組、週一のレギュラー放送としてスタートしたのは1990年4月のこと。3年間のレギュラー放送を終えた後も、季節の風物詩のように特別編としてこれまでたびたび放送されてきた。番組開始当初はタイトルどおりに恐怖系の話が多かったのだが、次第にギャグ系、感動系、ファンタジー系等・・・バラエティに富んだラインナップが顔を連ねるようになり、それが功を奏してか、いまだにスペシャルとして放送され、ファンを魅了している。私は個人的にストレートな恐怖もの、ホラー系があまり好きではないので、番組開始当初は敬遠していたエピソードも多かったのだが、次第に作品カラーがバラエティにとんでくると、結構好んで見るようになった。
その中でも「赤と黒」という超短編のストーリーが今でも印象に残っているのだが、大沢誉志幸氏演じるひたすら走り続ける男とマンションに手足を縛られ監禁された女(岸本加世子)の二人しか登場せず、セリフはいっさいなしという話。男は街中を必死に走り続けている。女の目前には爆薬がカウントダウンを刻んでいる。男はある建物にとびこむと必死に階段を駆け上がる。不安な表情の女。部屋に駆け込んだ男は慌ててタイムカードを押す。1分の遅刻だった。時を同じくして、目の前のビルから爆発音が・・・。これだけの話である。男と女は直接何の関係もない。ただ同時進行していただけの話。なんの説明もない。これがなんともいえない感覚につつまれるのである。
他にも、柳葉敏郎氏演じる男が乗車したバスで不可解な出来事に遭遇する「奇数」。バスを待つ乗客の順番そのままにバスの座席に前から順番に一列に座っていく。7番目に並んでいた彼は最初、7番席とは別の座席を選んだのだが、なぜかバスは走り出さない。乗客の視線にプレッシャーを感じ、仕方なく空席の7番席に座るとようやくバスは走り出す。1丁目につくと、1番座席に座っていた人が降車する。2丁目に着くと2番座席の人が降りる。同様に順番に一人ずつ降車していく。彼の目の前に親子が一組いたのだが、なんと別々に降車したのだ(つまり、5番と6番)。気がつくと自分が次に降車する番だ。しかし、7丁目ではなく11丁目で降りたいのだ・・・。そんな不条理感たっぷりの短編なのだが、説明のない怖さ、シュールさが最高で好きなのである。
感動系もそのまま膨らませて映画化できそうなストーリーも意外とある。最近見たものの中では、「過去からの日記」という作品。売れない小説家と難病と戦う少女が時を超えて交換日記をする話なのだが、映像美と役者の演技力ですごく感動的な話になっている。今でも大好きな話だ。
18年もの間、放送されていることもあって、今やネタ切れの感じも否めないが、それでもこういうショートストーリーというスタイル自体大好きなので、やっていればつい見てしまう。今フジテレビで放送中の「ロスタイムライフ」というドラマも「世にも」と合い通じる作品世界。ばかばかしさと恐怖感がとなりあったシュール世界。そんなドラマが私はすごく好きです。今春放送予定の新作もどんな作品が見られるか、期待しないながらも楽しみに待つ私です。
この番組、週一のレギュラー放送としてスタートしたのは1990年4月のこと。3年間のレギュラー放送を終えた後も、季節の風物詩のように特別編としてこれまでたびたび放送されてきた。番組開始当初はタイトルどおりに恐怖系の話が多かったのだが、次第にギャグ系、感動系、ファンタジー系等・・・バラエティに富んだラインナップが顔を連ねるようになり、それが功を奏してか、いまだにスペシャルとして放送され、ファンを魅了している。私は個人的にストレートな恐怖もの、ホラー系があまり好きではないので、番組開始当初は敬遠していたエピソードも多かったのだが、次第に作品カラーがバラエティにとんでくると、結構好んで見るようになった。
その中でも「赤と黒」という超短編のストーリーが今でも印象に残っているのだが、大沢誉志幸氏演じるひたすら走り続ける男とマンションに手足を縛られ監禁された女(岸本加世子)の二人しか登場せず、セリフはいっさいなしという話。男は街中を必死に走り続けている。女の目前には爆薬がカウントダウンを刻んでいる。男はある建物にとびこむと必死に階段を駆け上がる。不安な表情の女。部屋に駆け込んだ男は慌ててタイムカードを押す。1分の遅刻だった。時を同じくして、目の前のビルから爆発音が・・・。これだけの話である。男と女は直接何の関係もない。ただ同時進行していただけの話。なんの説明もない。これがなんともいえない感覚につつまれるのである。
他にも、柳葉敏郎氏演じる男が乗車したバスで不可解な出来事に遭遇する「奇数」。バスを待つ乗客の順番そのままにバスの座席に前から順番に一列に座っていく。7番目に並んでいた彼は最初、7番席とは別の座席を選んだのだが、なぜかバスは走り出さない。乗客の視線にプレッシャーを感じ、仕方なく空席の7番席に座るとようやくバスは走り出す。1丁目につくと、1番座席に座っていた人が降車する。2丁目に着くと2番座席の人が降りる。同様に順番に一人ずつ降車していく。彼の目の前に親子が一組いたのだが、なんと別々に降車したのだ(つまり、5番と6番)。気がつくと自分が次に降車する番だ。しかし、7丁目ではなく11丁目で降りたいのだ・・・。そんな不条理感たっぷりの短編なのだが、説明のない怖さ、シュールさが最高で好きなのである。
感動系もそのまま膨らませて映画化できそうなストーリーも意外とある。最近見たものの中では、「過去からの日記」という作品。売れない小説家と難病と戦う少女が時を超えて交換日記をする話なのだが、映像美と役者の演技力ですごく感動的な話になっている。今でも大好きな話だ。
18年もの間、放送されていることもあって、今やネタ切れの感じも否めないが、それでもこういうショートストーリーというスタイル自体大好きなので、やっていればつい見てしまう。今フジテレビで放送中の「ロスタイムライフ」というドラマも「世にも」と合い通じる作品世界。ばかばかしさと恐怖感がとなりあったシュール世界。そんなドラマが私はすごく好きです。今春放送予定の新作もどんな作品が見られるか、期待しないながらも楽しみに待つ私です。
2008年3月14日金曜日
記憶の達人
テレビでおりにふれ、超人特集があると必ず紹介される記憶の達人。
一口に記憶といっても、記憶の対象が様々で、人によって得意の記憶ジャンルというものがあるようだ。たとえば、円周率を何十万桁も記憶する人がいたかと思えば、パッと瞬時に見せられた映像や言葉などをいくつもその場で記憶するのが得意な人がいたり、歴代の大統領や出来事を詳細に記憶している人もいたかと思えば、イントロあてクイズで膨大な楽曲のイントロだけを記憶している人もいます。
私はそんなに記憶力に長けている人ではないので、このような人たちには手放しで感心してしまう。つまり、記憶の分野での競争心がないので、完全に傍観者として楽しめてしまう。もちろん、記憶力が優れていたらいいなぁとか単純に思うのだけれども、たとえば、円周率のような無意味な数列記憶にはなかなかモチベーションがわかないのです。歴史の年号や出来事の暗記なんて、ホントに苦手だったなぁ。興味があれば入りやすいと思うのだが、義務的に機械のように記憶しなければならないというのはとても苦痛を感じてしまう。
そんな私ですが、最近、同世代の方がテレビに出演して記憶術を披露しているのを見て、関心するとともに、すごく興味を抱いたのです。テレビでは、即興的にゲストの芸能人が書いた12桁の数字を瞬時に記憶するというものでしたが、記憶術もそうですが、それ以上に物腰のやわらかいこの人本人に強い興味を感じたんですね。番組を見終わった後に気になってネットで調べてみたら、この方、自身の記憶術の本も出版されている藤本忠正さんという人であることがわかりました。ところが驚いたことに、藤本さんは幼い頃の事故が元で、「記憶障害」という後遺症を負っていて、現在もその状況を抱えて生きていらっしゃるとのこと。しかしながら、本人の努力で自らの記憶術を駆使し、どんなものでも暗記できてしまうくらいに上達したそうです。その一方で、「記憶障害」は、すぐに記憶が消滅してしまうという症状を持っているため、藤本さんが日常の中で記憶の消滅と新たな入力の狭間を常に行き来して生きているという現実にショックを受けました。と同時に、障害を負っていない自分がいかに日常を怠けているのかを思い知らされ、背筋が伸びる思いがしました。
もともと、自分で勝手にイメージ記憶をするというのは自然とやっていたりすることなので、記憶の仕方に興味さえ持てれば能力開発として取り組んでいけるのではと思っています。そんなわけで、これをよいきっかけとして、新しいチャレンジにつながればと思います。人間はむしろ、不自由や困難な状況下の方が力を発揮するといいますが、自分もぬるま湯な日常を反省し、新しい刺激を取り入れたいと思う今日この頃です。
一口に記憶といっても、記憶の対象が様々で、人によって得意の記憶ジャンルというものがあるようだ。たとえば、円周率を何十万桁も記憶する人がいたかと思えば、パッと瞬時に見せられた映像や言葉などをいくつもその場で記憶するのが得意な人がいたり、歴代の大統領や出来事を詳細に記憶している人もいたかと思えば、イントロあてクイズで膨大な楽曲のイントロだけを記憶している人もいます。
私はそんなに記憶力に長けている人ではないので、このような人たちには手放しで感心してしまう。つまり、記憶の分野での競争心がないので、完全に傍観者として楽しめてしまう。もちろん、記憶力が優れていたらいいなぁとか単純に思うのだけれども、たとえば、円周率のような無意味な数列記憶にはなかなかモチベーションがわかないのです。歴史の年号や出来事の暗記なんて、ホントに苦手だったなぁ。興味があれば入りやすいと思うのだが、義務的に機械のように記憶しなければならないというのはとても苦痛を感じてしまう。
そんな私ですが、最近、同世代の方がテレビに出演して記憶術を披露しているのを見て、関心するとともに、すごく興味を抱いたのです。テレビでは、即興的にゲストの芸能人が書いた12桁の数字を瞬時に記憶するというものでしたが、記憶術もそうですが、それ以上に物腰のやわらかいこの人本人に強い興味を感じたんですね。番組を見終わった後に気になってネットで調べてみたら、この方、自身の記憶術の本も出版されている藤本忠正さんという人であることがわかりました。ところが驚いたことに、藤本さんは幼い頃の事故が元で、「記憶障害」という後遺症を負っていて、現在もその状況を抱えて生きていらっしゃるとのこと。しかしながら、本人の努力で自らの記憶術を駆使し、どんなものでも暗記できてしまうくらいに上達したそうです。その一方で、「記憶障害」は、すぐに記憶が消滅してしまうという症状を持っているため、藤本さんが日常の中で記憶の消滅と新たな入力の狭間を常に行き来して生きているという現実にショックを受けました。と同時に、障害を負っていない自分がいかに日常を怠けているのかを思い知らされ、背筋が伸びる思いがしました。
もともと、自分で勝手にイメージ記憶をするというのは自然とやっていたりすることなので、記憶の仕方に興味さえ持てれば能力開発として取り組んでいけるのではと思っています。そんなわけで、これをよいきっかけとして、新しいチャレンジにつながればと思います。人間はむしろ、不自由や困難な状況下の方が力を発揮するといいますが、自分もぬるま湯な日常を反省し、新しい刺激を取り入れたいと思う今日この頃です。
2008年3月13日木曜日
卒業シーズン
この時期、学校では卒業式シーズンだ。
学生を卒業してから、もう何十年経つことか。もうイメージの中の「卒業式」しか残っていない。
特に桜がひらひらと舞う春の陽射しに包まれた校庭のシーンとか、ドラマや映画の映像の中の美しい光景が頭の中に残っていて、現実の記憶はとっくに上書きされてしまい、美化されてしまっている、そんな感じがします。
私が若い頃に大好きだったアニメに「めぞん一刻」というのがある。主人公の五代裕作という浪人生が住むアパートで、後に恋心を抱くことになる管理人、音無響子と出会うところから話ははじまるのだが、その出会いのシーンが春。そして、紆余曲折あって、ハッピーエンドのラストシーンが再びの春。いずれも印象的な桜舞い散る美しい春の陽光に包まれたシーン。春だけでなく、四季おりおりの季節感が印象的に盛り込まれた日常を描いた作品だったため、どの季節も美しく描かれていて、その世界感にものすごい憧れがありました。それゆえ、春というとあの作品の中の桜のシーンが瞬間的に自分の中に浮かぶわけですね。
それと、最近、桜の季節を歌ったヒット曲が多い。そしてそのPVの中の桜の美しいシーンがとても印象的だ。曲のサウンドとともにその映像のイメージは自分の中に刷り込まれ、桜の季節は私の中でどんどん美化されていくのだ。
学生の頃は、後々花粉症に苦しめられるなど、想像などしなかったが、現在の春の季節は、花粉症に苦しむ人々という当時とは180度違う光景が定着しつつあり、なんともやりきれない。現代人が花粉症から解放される日はやってくるのだろうか?と外出するたびに思う今日この頃である。
思い出のアニメ「めぞん一刻」のテーマ曲だった春らしい「悲しみよこんにちは」(斉藤由貴)と「陽だまり」(村下孝蔵)はとても印象的に私の中に残っている。なんかただのアニメヲタさんみたいな感じになってきたなぁ・・・。
学生を卒業してから、もう何十年経つことか。もうイメージの中の「卒業式」しか残っていない。
特に桜がひらひらと舞う春の陽射しに包まれた校庭のシーンとか、ドラマや映画の映像の中の美しい光景が頭の中に残っていて、現実の記憶はとっくに上書きされてしまい、美化されてしまっている、そんな感じがします。
私が若い頃に大好きだったアニメに「めぞん一刻」というのがある。主人公の五代裕作という浪人生が住むアパートで、後に恋心を抱くことになる管理人、音無響子と出会うところから話ははじまるのだが、その出会いのシーンが春。そして、紆余曲折あって、ハッピーエンドのラストシーンが再びの春。いずれも印象的な桜舞い散る美しい春の陽光に包まれたシーン。春だけでなく、四季おりおりの季節感が印象的に盛り込まれた日常を描いた作品だったため、どの季節も美しく描かれていて、その世界感にものすごい憧れがありました。それゆえ、春というとあの作品の中の桜のシーンが瞬間的に自分の中に浮かぶわけですね。
それと、最近、桜の季節を歌ったヒット曲が多い。そしてそのPVの中の桜の美しいシーンがとても印象的だ。曲のサウンドとともにその映像のイメージは自分の中に刷り込まれ、桜の季節は私の中でどんどん美化されていくのだ。
学生の頃は、後々花粉症に苦しめられるなど、想像などしなかったが、現在の春の季節は、花粉症に苦しむ人々という当時とは180度違う光景が定着しつつあり、なんともやりきれない。現代人が花粉症から解放される日はやってくるのだろうか?と外出するたびに思う今日この頃である。
思い出のアニメ「めぞん一刻」のテーマ曲だった春らしい「悲しみよこんにちは」(斉藤由貴)と「陽だまり」(村下孝蔵)はとても印象的に私の中に残っている。なんかただのアニメヲタさんみたいな感じになってきたなぁ・・・。
2008年3月12日水曜日
KILLING TIME NIGHT
私の好きなバンドにKILLING TIMEがある。
リーダーの板倉文を筆頭に、清水一登、斉藤ネコ、Ma*To、whacho、メッケン、青山純という編成で、80年代に活躍した究極のひまつぶし(=KILLING TIME)バンドなのだが、21世紀に入ってから突然の再結成を果たし、特に昨年あたりから月一で都内のライブハウス等で精力的なライブ活動を続けている老舗変拍子バンドである。
80年代は一度しか彼らのステージを見たことがなく、その後はもっぱらCDで聞くだけの欲求不満状態だったのだが、ふたたび、彼らのステージに触れることができる感動はとても大きい。一筋縄ではいかない変拍子リズムとおどけたような愛らしいメロディー、そして絶妙なコードワークが交じり合ったなんともいえない不思議なサウンドそれが彼らのサウンドの魅力であります。
実は本日(3/12)、東京・高円寺にあるJIROKICHIというライブハウスで彼らのライブがあったので観戦してきた。再結成したといっても、これまではほとんどメンバーの誰か一人が欠けるという状況で、その都度ゲストを迎えてライブを行ってきた彼ら。昨年秋に一度だけフルメンバーが揃うという奇跡的な一夜があったが、その後はまたゲストで補う編成が続いていました。
今回は当初、再びのフルメンバーという触れ込みだったのだが、残念ながらドラムスの青山氏が土壇場にきての欠場。ここ最近のステージをフォローしてきたオイラー小林氏が代打出場となった。私は個人的に青山さんのタイトなドラムスが好きで、他のアンサンブルメンバーがどちらかといえば横ノリの演奏になりがちな分、きっちりとリズムのアクセントを刻み、見事なメリハリを利かせたアンサンブルに締める青山ドラムでのライブ演奏が好きなんですね。
まあ、そういったこともあり、多少のがっかり感を持ちながらも、演奏がスタートするや、その杞憂はいきなりふっとんだ。なんか、すごくかっこいいのだ。清水さんのピアノがいつもにもまして歯切れよく突っ走る。控えめながら無駄のないドラムスワークと野太いベースラインがうなるようにグルーヴを作り上げ、ネコさんのヴァイオリンもコシの入った流麗な旋律がリズムにうまくからみつく。アンサンブルは見事に勢いをなし、ギターのカッティングやパーカッションの味付けもとても小気味よくサウンドにアクセントをつけている。
とってもかっこいいステージだったのです。気がつくと終始、体が揺さぶれていた私。新曲も2曲登場したせいか、いつもより長めのステージとなり、最初から最後まで息つく暇も与えず、見事にかっこいい演奏が続いたのでした。ゲストで登場した紅一点ボーカルの小川美潮嬢、築地の魚市場を彷彿とさせる見事なボイスパフォーマンスを披露した福岡ユタカ氏の参加もサウンドに見事な彩りを与えていました。
現在のところ、都内でのライブステージのみとなっているのがとてももったいないくらい、非常に素敵なKILLING TIME体験。今後も是非続けて下さることを祈っています。いやあ、幸せな夜でした。
リーダーの板倉文を筆頭に、清水一登、斉藤ネコ、Ma*To、whacho、メッケン、青山純という編成で、80年代に活躍した究極のひまつぶし(=KILLING TIME)バンドなのだが、21世紀に入ってから突然の再結成を果たし、特に昨年あたりから月一で都内のライブハウス等で精力的なライブ活動を続けている老舗変拍子バンドである。
80年代は一度しか彼らのステージを見たことがなく、その後はもっぱらCDで聞くだけの欲求不満状態だったのだが、ふたたび、彼らのステージに触れることができる感動はとても大きい。一筋縄ではいかない変拍子リズムとおどけたような愛らしいメロディー、そして絶妙なコードワークが交じり合ったなんともいえない不思議なサウンドそれが彼らのサウンドの魅力であります。
実は本日(3/12)、東京・高円寺にあるJIROKICHIというライブハウスで彼らのライブがあったので観戦してきた。再結成したといっても、これまではほとんどメンバーの誰か一人が欠けるという状況で、その都度ゲストを迎えてライブを行ってきた彼ら。昨年秋に一度だけフルメンバーが揃うという奇跡的な一夜があったが、その後はまたゲストで補う編成が続いていました。
今回は当初、再びのフルメンバーという触れ込みだったのだが、残念ながらドラムスの青山氏が土壇場にきての欠場。ここ最近のステージをフォローしてきたオイラー小林氏が代打出場となった。私は個人的に青山さんのタイトなドラムスが好きで、他のアンサンブルメンバーがどちらかといえば横ノリの演奏になりがちな分、きっちりとリズムのアクセントを刻み、見事なメリハリを利かせたアンサンブルに締める青山ドラムでのライブ演奏が好きなんですね。
まあ、そういったこともあり、多少のがっかり感を持ちながらも、演奏がスタートするや、その杞憂はいきなりふっとんだ。なんか、すごくかっこいいのだ。清水さんのピアノがいつもにもまして歯切れよく突っ走る。控えめながら無駄のないドラムスワークと野太いベースラインがうなるようにグルーヴを作り上げ、ネコさんのヴァイオリンもコシの入った流麗な旋律がリズムにうまくからみつく。アンサンブルは見事に勢いをなし、ギターのカッティングやパーカッションの味付けもとても小気味よくサウンドにアクセントをつけている。
とってもかっこいいステージだったのです。気がつくと終始、体が揺さぶれていた私。新曲も2曲登場したせいか、いつもより長めのステージとなり、最初から最後まで息つく暇も与えず、見事にかっこいい演奏が続いたのでした。ゲストで登場した紅一点ボーカルの小川美潮嬢、築地の魚市場を彷彿とさせる見事なボイスパフォーマンスを披露した福岡ユタカ氏の参加もサウンドに見事な彩りを与えていました。
現在のところ、都内でのライブステージのみとなっているのがとてももったいないくらい、非常に素敵なKILLING TIME体験。今後も是非続けて下さることを祈っています。いやあ、幸せな夜でした。
2008年3月11日火曜日
ピエール・バルー
私が大好きでよく聞くCDの中に、ピエール・バルーの「花粉(Le Pollen)」というアルバムがある。
ピエール・バルーという人。フランス人で、クロード・ルルーシュ監督の映画「男と女」にも俳優として出演したこともある魅力的なシンガーソングライターです。
この「花粉(Le Pollen)」というアルバム、リリースされたのは1982年の秋。彼のファンだという日本人ミュージシャンたちによって録音された作品なのですが、そのメンツがすごいのである。学生時代から彼のファンだという高橋幸宏氏を筆頭に、ムーンライダーズ、加藤和彦、坂本龍一、清水靖晃とマライアメンバー等、当時(そして現在も)の日本のトップミュージシャンが完璧なまでにバックアップしており、そのサウンドはたんなるシャンソンでは片付けられない当時としては先鋭的なテイストを十分に包含した魅力的なサウンドで、バルー氏のボーカルとともに聞けば聞くほど好きになる仕上がりになっているのです。
ほとんど同じメンバーで1984年にもアルバム「シエラ(山脈)」がリリースされ、より渋い仕上がりになっていてこちらも大好きですが、とりわけ「花粉」は私にとって、スルメのような聞けば聞くほど味の出る特別なアルバムになっています。YMOやライダーズのメンバーが参加しているということもそうですが、バルー氏のボーカルのすばらしさというものがじわじわと伝わってくるんですね。
昨年の秋に恵比寿のガーデンホールでライブを開いた際に足を運んだのですが、生で聞く彼の声は当時とまったく変わっていなくて、その存在感を十二分に伝えていたすばらしいコンサートでした。幸宏氏がゲスト出演したこともあり、当時の「花粉」のタイトル曲や加藤和彦氏の曲「pepe」など、大好きなアルバム曲をステージで再演してくれたことにも感激した私でした。
「花粉」リリース直後の1983年初頭に、フランスのピエールカルダン劇場にてライダーズのメンバーと清水靖晃さんをバックにライブを行ったのですが、その録音が奇跡的に残っていて、2001年になんとCD化が実現。このニュースは本当にうれしかった。ムーンライダーズのちょっとアマチュアっぽいサウンドがいい味を出していて、清水さんの渋いサックスとの奇妙なバランス感を保ちつつ、ピエール・バルーのボーカルがゆったりと空間を埋める様が見事に記録されています。おもちゃの楽器で演奏される「おもちゃのチャチャチャ」のフランス語版もなかなかの白眉もの。今後も聞き続けていくんでしょうね。
アルバムでは坂本龍一教授がアレンジと演奏を担当した「出会いの星」は、昨年のコンサートでもラストを飾った曲で、日本の曲のメロディーにはないヨーロピアン独特の物憂げなテイストが印象的な曲で、ライブの終演曲にふさわしい選曲でした。
こういうアルバムが1枚でも多くあると人は幸せですね(笑)。
ピエール・バルーという人。フランス人で、クロード・ルルーシュ監督の映画「男と女」にも俳優として出演したこともある魅力的なシンガーソングライターです。
この「花粉(Le Pollen)」というアルバム、リリースされたのは1982年の秋。彼のファンだという日本人ミュージシャンたちによって録音された作品なのですが、そのメンツがすごいのである。学生時代から彼のファンだという高橋幸宏氏を筆頭に、ムーンライダーズ、加藤和彦、坂本龍一、清水靖晃とマライアメンバー等、当時(そして現在も)の日本のトップミュージシャンが完璧なまでにバックアップしており、そのサウンドはたんなるシャンソンでは片付けられない当時としては先鋭的なテイストを十分に包含した魅力的なサウンドで、バルー氏のボーカルとともに聞けば聞くほど好きになる仕上がりになっているのです。
ほとんど同じメンバーで1984年にもアルバム「シエラ(山脈)」がリリースされ、より渋い仕上がりになっていてこちらも大好きですが、とりわけ「花粉」は私にとって、スルメのような聞けば聞くほど味の出る特別なアルバムになっています。YMOやライダーズのメンバーが参加しているということもそうですが、バルー氏のボーカルのすばらしさというものがじわじわと伝わってくるんですね。
昨年の秋に恵比寿のガーデンホールでライブを開いた際に足を運んだのですが、生で聞く彼の声は当時とまったく変わっていなくて、その存在感を十二分に伝えていたすばらしいコンサートでした。幸宏氏がゲスト出演したこともあり、当時の「花粉」のタイトル曲や加藤和彦氏の曲「pepe」など、大好きなアルバム曲をステージで再演してくれたことにも感激した私でした。
「花粉」リリース直後の1983年初頭に、フランスのピエールカルダン劇場にてライダーズのメンバーと清水靖晃さんをバックにライブを行ったのですが、その録音が奇跡的に残っていて、2001年になんとCD化が実現。このニュースは本当にうれしかった。ムーンライダーズのちょっとアマチュアっぽいサウンドがいい味を出していて、清水さんの渋いサックスとの奇妙なバランス感を保ちつつ、ピエール・バルーのボーカルがゆったりと空間を埋める様が見事に記録されています。おもちゃの楽器で演奏される「おもちゃのチャチャチャ」のフランス語版もなかなかの白眉もの。今後も聞き続けていくんでしょうね。
アルバムでは坂本龍一教授がアレンジと演奏を担当した「出会いの星」は、昨年のコンサートでもラストを飾った曲で、日本の曲のメロディーにはないヨーロピアン独特の物憂げなテイストが印象的な曲で、ライブの終演曲にふさわしい選曲でした。
こういうアルバムが1枚でも多くあると人は幸せですね(笑)。
2008年3月10日月曜日
エアチェック
学生時代、ラジオをエアチェックしてよく聞いた。
エアチェックという言葉、今でも生きているのだろうか?
「夜はともだち」や「大入りダイヤル宵の口ワイド」を聞き始めた頃は、録音して聞くという発想はまだなかったのだが、その後、AMより音質のよいFM放送というものがあるというのを知り、親にラジカセを買ってもらうと、ラジオを録音するという行為に走るわけですね。
当時はラジオにベストテン番組がとても多く、特に日曜日のAMは朝から夕方までベストテン一色といってもいいくらい、民放各局、歌謡曲ランキング番組が名を連ねていました。そのせいか、当時の歌謡曲のヒットチャートには恐ろしく詳しかった私ですが(笑)、音質のよいFMで曲が1曲フルにかかるというのを知ってしまった私はカセットテープに当時のヒット曲を片っ端から録音するということを覚えるわけですね。当時の中学生のこづかいはたかが知れています。私のまわりの人間も、みんな同様にFMエアチェックをして独自のカセットテープを作っていました。そういう時代でした。
その後、2週間分のFM番組表が載ったFM誌が発売されているのを知ります。当時は「週刊FM」「FMレコパル」「FMfan」の三大FM誌が有名でしたね。私は、はじめは付録でついていたカセットレーベルのデザインがかわいかったことから「レコパル」誌を購読していたのですが、しばらくして「週刊FM」に変わり、最後は、後発創刊の「FMステーション」に落ち着きました。「FMステーション」は紙面が他の3誌よりも大きくて、情報量も多かった(ように感じた)わけですね。
NHK-FMや民放局で時おり放送されるライブ番組などは、一度しか放送されないことが多かったせいか、録音時はラジオの前に正座して待つくらい気合が入っていましたね。特に1980年はYMOのライブが春と冬に何度か放送されたせいか、エアチェックの鬼と化して、録音に臨んでいたのが懐かしい限り。他にもFM東京系の「ユアポップス」やNHKの「サウンドストリート」など大好きな番組は数多くあり、一日中FMを聞いていたこともあるほど。
そんな「エアチェック」という言葉、今はなんか全く聞かれなくなりました。FM誌が姿を消してしまったというのも大きいですが、今や、PCでストリーミングで聞けるということもあり、ラジオというメディアのあり方自体が変質してきているように感じます。またFMの番組カラーというものもだいぶ変わった感じがすごくしています。特にJ-Waveの開局当時と現在ではこうも変わるのかというくらいガラリとAM的なテイストを持ってしまったようです。別に悪いということではないですが・・・。
近年では、J-WAVEの深夜に放送されていた朗読番組「Suntory Theater Zero-Hour」がお気に入りでした。静寂につつまれた深夜の時間帯だけに、朗読と独特なBGMが自分の中にすっぽりと入ってきて、とてもここちよいひと時だったのですが、2年続いたところで終了してしまったのはとても残念です。読み手も非常にバラエティにとんだラインナップで、もっと続いてほしかった番組です。さすがに毎度エアチェックして記録するという習慣はすっかり薄れてしまった現在ですが、ラジオというメディアは大好きなので、今後も消えないでほしい願う次第です。
エアチェックという言葉、今でも生きているのだろうか?
「夜はともだち」や「大入りダイヤル宵の口ワイド」を聞き始めた頃は、録音して聞くという発想はまだなかったのだが、その後、AMより音質のよいFM放送というものがあるというのを知り、親にラジカセを買ってもらうと、ラジオを録音するという行為に走るわけですね。
当時はラジオにベストテン番組がとても多く、特に日曜日のAMは朝から夕方までベストテン一色といってもいいくらい、民放各局、歌謡曲ランキング番組が名を連ねていました。そのせいか、当時の歌謡曲のヒットチャートには恐ろしく詳しかった私ですが(笑)、音質のよいFMで曲が1曲フルにかかるというのを知ってしまった私はカセットテープに当時のヒット曲を片っ端から録音するということを覚えるわけですね。当時の中学生のこづかいはたかが知れています。私のまわりの人間も、みんな同様にFMエアチェックをして独自のカセットテープを作っていました。そういう時代でした。
その後、2週間分のFM番組表が載ったFM誌が発売されているのを知ります。当時は「週刊FM」「FMレコパル」「FMfan」の三大FM誌が有名でしたね。私は、はじめは付録でついていたカセットレーベルのデザインがかわいかったことから「レコパル」誌を購読していたのですが、しばらくして「週刊FM」に変わり、最後は、後発創刊の「FMステーション」に落ち着きました。「FMステーション」は紙面が他の3誌よりも大きくて、情報量も多かった(ように感じた)わけですね。
NHK-FMや民放局で時おり放送されるライブ番組などは、一度しか放送されないことが多かったせいか、録音時はラジオの前に正座して待つくらい気合が入っていましたね。特に1980年はYMOのライブが春と冬に何度か放送されたせいか、エアチェックの鬼と化して、録音に臨んでいたのが懐かしい限り。他にもFM東京系の「ユアポップス」やNHKの「サウンドストリート」など大好きな番組は数多くあり、一日中FMを聞いていたこともあるほど。
そんな「エアチェック」という言葉、今はなんか全く聞かれなくなりました。FM誌が姿を消してしまったというのも大きいですが、今や、PCでストリーミングで聞けるということもあり、ラジオというメディアのあり方自体が変質してきているように感じます。またFMの番組カラーというものもだいぶ変わった感じがすごくしています。特にJ-Waveの開局当時と現在ではこうも変わるのかというくらいガラリとAM的なテイストを持ってしまったようです。別に悪いということではないですが・・・。
近年では、J-WAVEの深夜に放送されていた朗読番組「Suntory Theater Zero-Hour」がお気に入りでした。静寂につつまれた深夜の時間帯だけに、朗読と独特なBGMが自分の中にすっぽりと入ってきて、とてもここちよいひと時だったのですが、2年続いたところで終了してしまったのはとても残念です。読み手も非常にバラエティにとんだラインナップで、もっと続いてほしかった番組です。さすがに毎度エアチェックして記録するという習慣はすっかり薄れてしまった現在ですが、ラジオというメディアは大好きなので、今後も消えないでほしい願う次第です。
2008年3月9日日曜日
あこがれのギャートルズ世界
小学生の頃、アニメでやっていた「はじめ人間ギャートルズ」。大好きでした。
今日のお昼のラジオ番組「日曜日の秘密基地」のゲストは作曲家の久石譲氏。今や、スタジオジブリのアニメ作品や北野武映画等の音楽で評価の高い久石氏ですが、最初にプロとして関わった映像作品が、テレビアニメ「はじめ人間ギャートルズ」とのこと。まだ小学生だった私が毎週、釘付けになって見ていた大好きなアニメの音楽で、その頃から久石さんの音楽にお世話になっていたというのも感慨深い。
その当時は、現在の「久石譲」というペンネームではなく、本名でのお仕事だったようですが、今日のラジオ番組の中で「ギャートルズ」についても話が触れていたのがちょっとうれしかった。伊集院氏はこのアニメ作品のサントラCDを所有していて、自身のコント作品にBGMとしてよくこの音楽を使うそうですが、シンプルかつ、たわいない日常のシーンに使用されていたBGMが大好きだそうで(実は私も大好きなのです)、このようなちょっとした目立たないシーンの音楽が簡単に作れるかどうかがプロとアマの大きな違いだというような話がとても興味深かった。
とにかく、私はあのアニメの世界観が大好きで、見渡す限り地平線という広々とした世界、そして日々の暮らしの半分はマンモスと戦ったり、物々交換で食料を調達するといったシンプルさがとてもうらやましく感じたものです。(実際に生活するとなると、実は大変だったりするのでしょうが・・・)
大地に仰向けに寝転ぶと、空には満天の星。獲ったマンモスを輪切りにして焼いて食べるシーンとか、今のように複雑な世界情勢とは無縁のシンプルでほのぼのとした世界が大好きでした。まあ、現在のように情報化社会で生きていると、全く真逆のこの世界にポンと放り出されたとしたら、全く生きていけないのは想像に難くないのですが、小学生にはそんなことは関係ありません(笑)。こんなあこがれがいまだに強いということは、それだけ現在、ストレスにまみれて生活しているということなんでしょうね。
(もっと現実を直視せねば・・・苦笑)
伊集院氏同様、私もこのアニメのサントラCDを持っていて、時々、聞きふけることがあるのですが、当時は今と違ってシンセがメジャーではなかった時代、ほとんどが生演奏です。作風も現在のような久石節はまだ顔を出していませんが、「ギャートルズ」の作品世界を体現するのにぴったりなほのぼのサウンドで、私の中では「ピュンピュン丸」の音楽とともに大好きなアニメ音楽の一つなんです。現在のアニメやドラマでは、このようなタッチの音楽はほとんど聴くことができなくなっただけに、このサウンドに触れると懐かしさに包まれてほっこりとしてしまう私です。また、このアニメから「やつらの足音のバラード」という名曲も生まれましたね。こちらはムッシュかまやつ氏の作曲で、小泉今日子さんもカバーしたことがありました。いい曲は残る。
今日のお昼のラジオ番組「日曜日の秘密基地」のゲストは作曲家の久石譲氏。今や、スタジオジブリのアニメ作品や北野武映画等の音楽で評価の高い久石氏ですが、最初にプロとして関わった映像作品が、テレビアニメ「はじめ人間ギャートルズ」とのこと。まだ小学生だった私が毎週、釘付けになって見ていた大好きなアニメの音楽で、その頃から久石さんの音楽にお世話になっていたというのも感慨深い。
その当時は、現在の「久石譲」というペンネームではなく、本名でのお仕事だったようですが、今日のラジオ番組の中で「ギャートルズ」についても話が触れていたのがちょっとうれしかった。伊集院氏はこのアニメ作品のサントラCDを所有していて、自身のコント作品にBGMとしてよくこの音楽を使うそうですが、シンプルかつ、たわいない日常のシーンに使用されていたBGMが大好きだそうで(実は私も大好きなのです)、このようなちょっとした目立たないシーンの音楽が簡単に作れるかどうかがプロとアマの大きな違いだというような話がとても興味深かった。
とにかく、私はあのアニメの世界観が大好きで、見渡す限り地平線という広々とした世界、そして日々の暮らしの半分はマンモスと戦ったり、物々交換で食料を調達するといったシンプルさがとてもうらやましく感じたものです。(実際に生活するとなると、実は大変だったりするのでしょうが・・・)
大地に仰向けに寝転ぶと、空には満天の星。獲ったマンモスを輪切りにして焼いて食べるシーンとか、今のように複雑な世界情勢とは無縁のシンプルでほのぼのとした世界が大好きでした。まあ、現在のように情報化社会で生きていると、全く真逆のこの世界にポンと放り出されたとしたら、全く生きていけないのは想像に難くないのですが、小学生にはそんなことは関係ありません(笑)。こんなあこがれがいまだに強いということは、それだけ現在、ストレスにまみれて生活しているということなんでしょうね。
(もっと現実を直視せねば・・・苦笑)
伊集院氏同様、私もこのアニメのサントラCDを持っていて、時々、聞きふけることがあるのですが、当時は今と違ってシンセがメジャーではなかった時代、ほとんどが生演奏です。作風も現在のような久石節はまだ顔を出していませんが、「ギャートルズ」の作品世界を体現するのにぴったりなほのぼのサウンドで、私の中では「ピュンピュン丸」の音楽とともに大好きなアニメ音楽の一つなんです。現在のアニメやドラマでは、このようなタッチの音楽はほとんど聴くことができなくなっただけに、このサウンドに触れると懐かしさに包まれてほっこりとしてしまう私です。また、このアニメから「やつらの足音のバラード」という名曲も生まれましたね。こちらはムッシュかまやつ氏の作曲で、小泉今日子さんもカバーしたことがありました。いい曲は残る。
2008年3月8日土曜日
我が家のいぬ
我が家には10年ほど前まで、いぬがいた。
血統書のついた由緒ある犬ではなく、ありふれた雑種犬。猟犬種のポインターと芝犬のハーフらしくて、顔の雰囲気はポインターなのだが、毛並みや尻尾は完全に芝犬。ちなみにメス。
もともと我が家では、ペットはほとんど飼ったことがなく、小学生の時に手乗りインコを飼ったぐらいだったと思う。生まれて間もない頃に我が家へもらわれてきたので、かなり愛らしいまでになついてくれ、言葉を喋るのがとにかく可愛い(笑)。意味不明ながら、あの愛らしい喋りにメロメロでした。
しかし、ある時インコを肩にのせたまま、うたた寝してしまったことがあって、気がついてみると、なんとインコは圧死・・・(涙)。号泣とはこのことを言うのだなというくらい泣きじゃくりました。
その後は、まったくなつかないインコを飼ったものの、私の不注意で死なせてしまったインコのことが脳裏から消えず、見るに忍びなくて、ペットはもう飼うまいと思っていたのです。
そんな時に、あの犬は我が家に突然やってきたのです。どういうことかというと、母親が知り合いからもらってきたのです。家族の断りもなしに。いわゆる事後承諾というやつですね。
産まれて間もないということもあって、まだ母親犬といっしょにしておかないとまずいのでは・・・というくらい、夜中は泣きまくり。そりゃそうです。ダンボール箱の中にたった一匹だけにしていたんですから。きっとかなりの不安を感じていたと思います。成長してからも、恐ろしいまでに臆病な犬だったことがその証拠。できるだけ、昼間は相手をしてあげたものの、原初体験のトラウマはやはり大きく影を落としていたようです。
しかし、その一方で、ものすごい大食漢で、自分の首輪まで食べてしまったこともあるほどの食い気100%体質。時に食べ過ぎて吐くのですが、しばらくするとそれすら再び食べつくすというくらい、食に対しては異常なまでの執着のある犬でありました。怖かった(笑)。
赤ん坊から数ヶ月の間は体も小さくて、かわいらしかったのですが、すぐに体形は大型に。ひよこがにわとりになってしまうと興味を失う小学生のごとく、私にとっても、ちょっと手に負えなくなってきました。我が家では、主に両親が面倒を見ていたのと、私も自宅から離れて一人暮らしをはじめたため、あの犬とはその後疎遠になっていきました。
彼女が家に来てちょうど10年目の頃、久しぶりに自宅に戻ってみると犬小屋がなくなっていました。事情を親に聞いてみると、おなかに虫が湧いてもう手遅れの状態になり、ごく最近にひっそりと息をひきとったのだと言う。食い意地だけはすごかったので、散歩中に落ちているものを食べることもよくありましたが、食べたものがよくなかったのでしょう。最後まで食いしん坊将軍を貫いたのはあっぱれ。ついでに、両親に見守られて昇天したとのことなので、結構、幸せな生涯だったのではと思います。
それにしても、ペットって、亡くなった時の喪失感が本当に大きくて、二度と飼うかと思うんだけど、いっしょにいた時間というのは本当にかけがえのない大切な時間で、自分の人生の一部を確実に成しているんだなぁとつくづく思います。
たかがペット・・・されどペット。ペットショップで、動物と目が合った瞬間に運命を感じるというのが怖くて、私は今もなかなかお店に入れません(苦笑)。
あの上目使いと時おり首をかしげる仕草・・・思い出すと思わずうるっとくる私でした。
血統書のついた由緒ある犬ではなく、ありふれた雑種犬。猟犬種のポインターと芝犬のハーフらしくて、顔の雰囲気はポインターなのだが、毛並みや尻尾は完全に芝犬。ちなみにメス。
もともと我が家では、ペットはほとんど飼ったことがなく、小学生の時に手乗りインコを飼ったぐらいだったと思う。生まれて間もない頃に我が家へもらわれてきたので、かなり愛らしいまでになついてくれ、言葉を喋るのがとにかく可愛い(笑)。意味不明ながら、あの愛らしい喋りにメロメロでした。
しかし、ある時インコを肩にのせたまま、うたた寝してしまったことがあって、気がついてみると、なんとインコは圧死・・・(涙)。号泣とはこのことを言うのだなというくらい泣きじゃくりました。
その後は、まったくなつかないインコを飼ったものの、私の不注意で死なせてしまったインコのことが脳裏から消えず、見るに忍びなくて、ペットはもう飼うまいと思っていたのです。
そんな時に、あの犬は我が家に突然やってきたのです。どういうことかというと、母親が知り合いからもらってきたのです。家族の断りもなしに。いわゆる事後承諾というやつですね。
産まれて間もないということもあって、まだ母親犬といっしょにしておかないとまずいのでは・・・というくらい、夜中は泣きまくり。そりゃそうです。ダンボール箱の中にたった一匹だけにしていたんですから。きっとかなりの不安を感じていたと思います。成長してからも、恐ろしいまでに臆病な犬だったことがその証拠。できるだけ、昼間は相手をしてあげたものの、原初体験のトラウマはやはり大きく影を落としていたようです。
しかし、その一方で、ものすごい大食漢で、自分の首輪まで食べてしまったこともあるほどの食い気100%体質。時に食べ過ぎて吐くのですが、しばらくするとそれすら再び食べつくすというくらい、食に対しては異常なまでの執着のある犬でありました。怖かった(笑)。
赤ん坊から数ヶ月の間は体も小さくて、かわいらしかったのですが、すぐに体形は大型に。ひよこがにわとりになってしまうと興味を失う小学生のごとく、私にとっても、ちょっと手に負えなくなってきました。我が家では、主に両親が面倒を見ていたのと、私も自宅から離れて一人暮らしをはじめたため、あの犬とはその後疎遠になっていきました。
彼女が家に来てちょうど10年目の頃、久しぶりに自宅に戻ってみると犬小屋がなくなっていました。事情を親に聞いてみると、おなかに虫が湧いてもう手遅れの状態になり、ごく最近にひっそりと息をひきとったのだと言う。食い意地だけはすごかったので、散歩中に落ちているものを食べることもよくありましたが、食べたものがよくなかったのでしょう。最後まで食いしん坊将軍を貫いたのはあっぱれ。ついでに、両親に見守られて昇天したとのことなので、結構、幸せな生涯だったのではと思います。
それにしても、ペットって、亡くなった時の喪失感が本当に大きくて、二度と飼うかと思うんだけど、いっしょにいた時間というのは本当にかけがえのない大切な時間で、自分の人生の一部を確実に成しているんだなぁとつくづく思います。
たかがペット・・・されどペット。ペットショップで、動物と目が合った瞬間に運命を感じるというのが怖くて、私は今もなかなかお店に入れません(苦笑)。
あの上目使いと時おり首をかしげる仕草・・・思い出すと思わずうるっとくる私でした。
2008年3月7日金曜日
CM音楽
テレビを見ていると毎日様々なCMが次から次へと流れています。タイアップで既存のヒット曲が使用されていることも多いが、アーティスト・クレジットのない匿名のBGM曲というのも相当あると思う。その中には、歌詞に商品名を織り込んで効果的に商品宣伝するパターンや、歌詞のない、いわゆるインスト曲というのも結構あるのに気づきます。
私は学生時代の頃、CMをテレビから録音する習慣がありまして、気に入ったものは15秒(あるいは30秒)という短い時間にも関わらず、何度も再生して聞くのが好きでした。
そもそもは、学生時代に私が好きだったYMOやゴダイゴのメンバーが匿名でCM音楽を手がけていたことを知ったのがきっかけだったと思います。ゴダイゴの場合、タケカワユキヒデ氏が歌っていることが多く、しかも後にまとめてレコード化されたりしたので、作品を耳にする苦労はそれほどせずに済んだのですが(彼らはCM用のトラックとは別にサイズの長いトラックも録音していたため、レコード化がしやすかった)、YMO(特に坂本龍一さんが好きだった)の手がけたCM作品は、TVで流れているのを録音しない限り、他で聞くことがほとんどできなかったんですね。
21世紀に入ってようやく、坂本さんの過去のCM作品をオリジナルサイズのまま収録したCDがリリースされましたが(これ、すっごくうれしかった!)、当時はオリジナルCM曲だけを集めてレコード化するなんて、大滝詠一さんくらいのもので、権利関係の問題もありますが、商品化しても売れるなどとは絶対に思われていなかった時代ゆえ、実現はまず望めなかったと思います。最近、オン・アソシエイツというCM音楽制作会社に残された過去の音源がCD化されるという奇跡的な事態が起きていますが(感動)、当時から20年・・・ずいぶん時の流れが必要だったのですね。感慨無量です。
そんな時代、特に80年代前半から中期にかけての時代は、面白いCM曲がたくさんありました。当時、私が気に入っていたのは、坂本さんが手がけたものでは「ハナマルキ」「中華三昧」「東レ」「HITACHIビデオテープ」「サントリー」等々、彼のアルバム「音楽図鑑」の流れにつながるカラフルなインスト曲ですね。
坂本さんの場合、NHKのニュースのテーマ曲やジングルなどの制作もしていたり、自身が担当したFM番組のテーマなど、多岐にわたっていたので、追いかけるのがホント大変でした。当時、森本毅郎氏がキャスターを務めていた「朝のニュースワイド」(NHK)のテーマ曲と番組中に使用されたジングルは、とても教授らしいテクノテイストあふれる曲で、録音して何度聞いたことか。私のテーマ曲といってもいいくらいよく聞きました。
また、当時は他に井上鑑氏や久石譲氏などのテクノやミニマルテイストを持ったインスト曲もCMによく使用されていましたね。あ、あと、岩崎工さんという方もいました。TPOという幻のフェアライトシンセ・ユニットのメンバーで、この方のキューピーの曲やCanonの曲など、職人というに相応しいすばらしいクォリティでした。商品化を希望してしまいます。それから、樋口康雄さん、清水靖晃さん、三宅純さん、鈴木さえ子さん・・・、CMがらみでお気に入りになったアーティストはたくさんいます。
考えてみると、YMOやムーンライダーズ周辺のアーティストのサウンドが今でもとても好きなので、それはこの頃のCM体験で培われた部分が大きいですね。
社会人になるとともに、テレビから離れる生活になったりして、CMキャッチャーからも遠ざかってしまったわけですが、現在、大きなCDショップに入ると、CM音楽のためのコーナーがちゃんとあって、タイトルも豊富にあるので驚かされます。貴重なCMオリジナル音源が当たり前のように商品化される時代にやっとなったか・・・と、感慨もひとしおです。すばらしい。久しぶりにまたCMキャッチャーしてみようかな?
私は学生時代の頃、CMをテレビから録音する習慣がありまして、気に入ったものは15秒(あるいは30秒)という短い時間にも関わらず、何度も再生して聞くのが好きでした。
そもそもは、学生時代に私が好きだったYMOやゴダイゴのメンバーが匿名でCM音楽を手がけていたことを知ったのがきっかけだったと思います。ゴダイゴの場合、タケカワユキヒデ氏が歌っていることが多く、しかも後にまとめてレコード化されたりしたので、作品を耳にする苦労はそれほどせずに済んだのですが(彼らはCM用のトラックとは別にサイズの長いトラックも録音していたため、レコード化がしやすかった)、YMO(特に坂本龍一さんが好きだった)の手がけたCM作品は、TVで流れているのを録音しない限り、他で聞くことがほとんどできなかったんですね。
21世紀に入ってようやく、坂本さんの過去のCM作品をオリジナルサイズのまま収録したCDがリリースされましたが(これ、すっごくうれしかった!)、当時はオリジナルCM曲だけを集めてレコード化するなんて、大滝詠一さんくらいのもので、権利関係の問題もありますが、商品化しても売れるなどとは絶対に思われていなかった時代ゆえ、実現はまず望めなかったと思います。最近、オン・アソシエイツというCM音楽制作会社に残された過去の音源がCD化されるという奇跡的な事態が起きていますが(感動)、当時から20年・・・ずいぶん時の流れが必要だったのですね。感慨無量です。
そんな時代、特に80年代前半から中期にかけての時代は、面白いCM曲がたくさんありました。当時、私が気に入っていたのは、坂本さんが手がけたものでは「ハナマルキ」「中華三昧」「東レ」「HITACHIビデオテープ」「サントリー」等々、彼のアルバム「音楽図鑑」の流れにつながるカラフルなインスト曲ですね。
坂本さんの場合、NHKのニュースのテーマ曲やジングルなどの制作もしていたり、自身が担当したFM番組のテーマなど、多岐にわたっていたので、追いかけるのがホント大変でした。当時、森本毅郎氏がキャスターを務めていた「朝のニュースワイド」(NHK)のテーマ曲と番組中に使用されたジングルは、とても教授らしいテクノテイストあふれる曲で、録音して何度聞いたことか。私のテーマ曲といってもいいくらいよく聞きました。
また、当時は他に井上鑑氏や久石譲氏などのテクノやミニマルテイストを持ったインスト曲もCMによく使用されていましたね。あ、あと、岩崎工さんという方もいました。TPOという幻のフェアライトシンセ・ユニットのメンバーで、この方のキューピーの曲やCanonの曲など、職人というに相応しいすばらしいクォリティでした。商品化を希望してしまいます。それから、樋口康雄さん、清水靖晃さん、三宅純さん、鈴木さえ子さん・・・、CMがらみでお気に入りになったアーティストはたくさんいます。
考えてみると、YMOやムーンライダーズ周辺のアーティストのサウンドが今でもとても好きなので、それはこの頃のCM体験で培われた部分が大きいですね。
社会人になるとともに、テレビから離れる生活になったりして、CMキャッチャーからも遠ざかってしまったわけですが、現在、大きなCDショップに入ると、CM音楽のためのコーナーがちゃんとあって、タイトルも豊富にあるので驚かされます。貴重なCMオリジナル音源が当たり前のように商品化される時代にやっとなったか・・・と、感慨もひとしおです。すばらしい。久しぶりにまたCMキャッチャーしてみようかな?
2008年3月6日木曜日
ラジオドラマの夕べ
私がラジオを習慣的に聞き始めたのは、中学生になったばかりの頃だったと思う。
当時、ウィークデーに、TBSラジオで「夜はともだち」(通称:ヨルトモ)という夜9時~12時までの番組があって、学校の友人の間で評判になっているのを知り、聞き始めたのがきっかけでした。DJは小島一慶氏だったかな?番組内に10分から30分くらいのコーナー番組がいくつもあるのですが、その中にはタモリさんの番組や伝説のスネークマンショー、そして、「夜のミステリー」というラジオドラマなど、今でも再び聞いてみたいと思うものがてんこ盛りで、受験勉強がおろそかになるのもそっちのけで(苦笑)、毎晩食い入るように聞き続けることになるのでした。
聞き続けていくうちに、他の放送局の番組も気になってきます。そうして出会ったのが、ニッポン放送の「大入りダイヤル宵の口ワイド」。完全に「夜とも」のウラ番組だったのですが、その中ではじめて耳にしたのが「夜のドラマハウス」。10分枠のショートショートを扱うラジオドラマで、これがですねぇ、すごくツボにはまってしまったんですね。毎週一つのテーマを元にドラマが繰り広げられるんですが、そのテーマになるのが当時のヒット曲で、曲名や歌詞などから自由に発想して作られた短編が毎週(月~金)5本ずつ放送されるのです。正味5分ちょっとのドラマなのですが、その中にも起承転結がきちっと盛り込まれていて、ラストのどんでん落ちがとても印象的なドラマでした。(ジングルに使用されたテーマ曲も効果的でした)
この番組、当時かなり人気を博したせいか、番組枠で人気作品が何度か再放送されたり、テーマ曲を歌った歌手がラジオドラマに登場したりすることもあったりして、短いながらもとても内容の充実した番組でした。その後の放送作家さんの登竜門にもなったという話も聞くこの番組は、70年代後半から80年代前半にかけて人気を博しました。(最後の方は私も知らないうちにいつの間にか終わっていたという感じですが)
その人気も手伝ってか、ドラマのシナリオを記録した番組本も4冊ほど出版され、先日、自宅の押入れから久しぶりに出てまいりました。いやあ、懐かしい。活字とはいえ、当時聞いたラジオの雰囲気が一挙に戻ってきました。 4冊しか出版されなかったけど、放送された作品はこの何十倍あったと思うので、もっと記録として残していただきたかった・・・。
この宵の口ワイドの枠内には、もう一つ別のラジオドラマがあり、それは11時半くらいから10分枠で放送されていた「キリンラジオ劇場スペースロマン」。こちらは大体10~20回くらいの連続ものとして、主にマンガや小説などを原作に制作されていたと思います。「スペースロマン」というくらいで、SF系が多かったかな?ちょっと細かい記憶が薄れてしまったのがとっても残念ですが、時には「エースをねらえ!」とか「銀河鉄道999」とか当時の人気アニメ作品も取り上げられていたと記憶しています。
そして、これらのラジオドラマからその後の声優ブームが起きたといってもいいくらい、いろんな声優さんにもスポットが当たりだしたのもこの頃。今も第一線で活躍する声優さんもこの時にすでに多数いました。野沢雅子さんや神谷明さんとか、小原乃梨子さん、戸田恵子さん等々、知らず知らずに声優さんのことに詳しくなったりもして(別にアニヲタではなかったけど)。当時は、「宇宙戦艦ヤマト」の森雪役の麻上洋子さんがとても好きでしたねぇ。現在も変わらず活躍されているのでしょうかね?また彼女の声を聞いてみたいな。
そんな体験を経て、その後FMに舞台を移しながらもラジオドラマ番組はついつい耳にしてしまう私が形成されてしまったわけです。そうそう、NHK-FMの「青春アドベンチャー」は今でも放送されていますね。時々思い出したように耳にしていますが、ラジオドラマはリスナーが自由に想像しながら聞けるところが素敵です。特に夜の時間帯、まわりがひっそりと静まった頃に耳にするのがいいですね。
当時、ウィークデーに、TBSラジオで「夜はともだち」(通称:ヨルトモ)という夜9時~12時までの番組があって、学校の友人の間で評判になっているのを知り、聞き始めたのがきっかけでした。DJは小島一慶氏だったかな?番組内に10分から30分くらいのコーナー番組がいくつもあるのですが、その中にはタモリさんの番組や伝説のスネークマンショー、そして、「夜のミステリー」というラジオドラマなど、今でも再び聞いてみたいと思うものがてんこ盛りで、受験勉強がおろそかになるのもそっちのけで(苦笑)、毎晩食い入るように聞き続けることになるのでした。
聞き続けていくうちに、他の放送局の番組も気になってきます。そうして出会ったのが、ニッポン放送の「大入りダイヤル宵の口ワイド」。完全に「夜とも」のウラ番組だったのですが、その中ではじめて耳にしたのが「夜のドラマハウス」。10分枠のショートショートを扱うラジオドラマで、これがですねぇ、すごくツボにはまってしまったんですね。毎週一つのテーマを元にドラマが繰り広げられるんですが、そのテーマになるのが当時のヒット曲で、曲名や歌詞などから自由に発想して作られた短編が毎週(月~金)5本ずつ放送されるのです。正味5分ちょっとのドラマなのですが、その中にも起承転結がきちっと盛り込まれていて、ラストのどんでん落ちがとても印象的なドラマでした。(ジングルに使用されたテーマ曲も効果的でした)
この番組、当時かなり人気を博したせいか、番組枠で人気作品が何度か再放送されたり、テーマ曲を歌った歌手がラジオドラマに登場したりすることもあったりして、短いながらもとても内容の充実した番組でした。その後の放送作家さんの登竜門にもなったという話も聞くこの番組は、70年代後半から80年代前半にかけて人気を博しました。(最後の方は私も知らないうちにいつの間にか終わっていたという感じですが)
その人気も手伝ってか、ドラマのシナリオを記録した番組本も4冊ほど出版され、先日、自宅の押入れから久しぶりに出てまいりました。いやあ、懐かしい。活字とはいえ、当時聞いたラジオの雰囲気が一挙に戻ってきました。 4冊しか出版されなかったけど、放送された作品はこの何十倍あったと思うので、もっと記録として残していただきたかった・・・。
この宵の口ワイドの枠内には、もう一つ別のラジオドラマがあり、それは11時半くらいから10分枠で放送されていた「キリンラジオ劇場スペースロマン」。こちらは大体10~20回くらいの連続ものとして、主にマンガや小説などを原作に制作されていたと思います。「スペースロマン」というくらいで、SF系が多かったかな?ちょっと細かい記憶が薄れてしまったのがとっても残念ですが、時には「エースをねらえ!」とか「銀河鉄道999」とか当時の人気アニメ作品も取り上げられていたと記憶しています。
そして、これらのラジオドラマからその後の声優ブームが起きたといってもいいくらい、いろんな声優さんにもスポットが当たりだしたのもこの頃。今も第一線で活躍する声優さんもこの時にすでに多数いました。野沢雅子さんや神谷明さんとか、小原乃梨子さん、戸田恵子さん等々、知らず知らずに声優さんのことに詳しくなったりもして(別にアニヲタではなかったけど)。当時は、「宇宙戦艦ヤマト」の森雪役の麻上洋子さんがとても好きでしたねぇ。現在も変わらず活躍されているのでしょうかね?また彼女の声を聞いてみたいな。
そんな体験を経て、その後FMに舞台を移しながらもラジオドラマ番組はついつい耳にしてしまう私が形成されてしまったわけです。そうそう、NHK-FMの「青春アドベンチャー」は今でも放送されていますね。時々思い出したように耳にしていますが、ラジオドラマはリスナーが自由に想像しながら聞けるところが素敵です。特に夜の時間帯、まわりがひっそりと静まった頃に耳にするのがいいですね。
2008年3月5日水曜日
テレビの記憶
物心ついた頃には、自宅にテレビがあった。
ただし、白黒テレビであった。
平成生まれにとっては、「一家に一台ビデオデッキ」というのは当たり前のことで、ビデオが存在しないということ自体、ありえないのではないか? というくらいこの30年くらいで生活の便利度は恐ろしく変化したと思う。
私が幼少の時代を過ごした昭和40年代は、カラーテレビの普及が徐々に浸透していく過渡期の時代。番組自体は放送局からカラー放送として送信されていても、受信機が白黒テレビであれば、当然ながら白黒画面でしか見ることができない。感受性が豊かな幼少期にこの画面を見て育った自分としては、白黒画面の映像に対して、ノスタルジーがものすごくあるようだ。
また、この時代、カラー放送の番組には、「カラー」という文字が画面の隅に表示されていたので、これを覚えているかどうかで、その人が大体どの年代かがわかってしまう(笑)。
私が見たテレビ番組の一番古い記憶は、おそらく「ウルトラQ」だと思います。昼間か夕方頃に見た記憶なので、すでに再放送だったと思うのですが、「ボスタング」という宇宙エイが出てくる回(第21話「宇宙指令M774」)でした。海からボスタングがザバぁ~!っと顔を出すシーンがあるのですが、なぜかこのシーンだけが、白黒画面ゆえの独特の迫力を持って自分の中にずっと残っているんですね。で、このテレビの前で自分は、ノートの切れ端にマジックペンで絵を描いている。しかも、その時、かなりうまく書けたという満足感を持っていて、母親にもそれを見せアピール。「上手ねぇ~」とベタぼめしてもらうと、おれってすごい?的な子供ならではの自己満足に包まれる(笑)・・・そんな一連の光景がセットになって今も脳裏にはっきりと残っています。
その時の絵は、ボスタングではなく、お揃いの帽子を被った二人の人物(誰かをモデルに書いたという意識はなく、ただ書いた・・・その程度だったように思います)でした。実はその時の絵は、母親が捨てずにアルバムに保存しておいてくれたということが後になってわかるのですが、そこに記載された年月日をみるとなんと、私の3才の誕生日。そういうことか。でも、後になって見ると、ホント、たいしたことのない絵なんだけど、その時の達成感というか「どうだ!」感は今もよく覚えているんです。ピュアだったなぁ、ホントに(笑)。
我が家の白黒テレビ時代は、なんと小学4年生の頃まで続くのですが、円谷プロのウルトラシリーズは、本当に画面に食い入るように白黒で見てましたね。ウルトラセブンまではリアルタイムではなくて、再放送で見ていたと思いますが、白黒画面ならではの独特の雰囲気・味わいを伴って、今も自分の中に残っており、昔のモノクロ画面の番組がたまに紹介されると、胸がキュンとなります(笑)。
しかし、白黒だけに恐怖をいだいたエピソードも結構あって、「ウルトラセブン」の中の「第四惑星の悪夢」(第43話)・・・これは本当に怖かった。セブンのエピソードの中でも、怪獣の出てこないちょっとシュールな回で、人間がロボットに支配されているという星にウルトラ警備隊のダンとソガの2名が迷い込んでしまうという内容。そこでは、人間がロボットに処刑されてしまうというショッキングなシーンもあり、その世界のトップに君臨するロボット長官の描写もすごくオドロオドロしくて、しかもダークな色調感が物語自体にすごく陰影を落として迫ってくる・・・そんな回(の記憶)でした。はっきりいって、子供が楽しむようなエピソードではありません。暗すぎます。
長官が自分の頭の一部を取り外すと、中から機械仕掛けの頭脳が見えるくだりや、長官お付きの署長さんの口から終始聞こえてくる不気味な効果音など、いまだに怖い(笑)。後に、この回の監督をつとめた人物があの実相時昭雄さんだと知って、自分の中では、いろんな意味で特別な人として刻み込まれたものです。
昭和40年代半ばになると、ウルトラシリーズのほかにもいろいろな特撮ヒーローものが登場し、石ノ森章太郎(当時は「石森」)先生の原作を元にした仮面ライダーやゴレンジャー等のシリーズがわんさか出てくるんでしたね。この時代の小学生が学校から帰ってからすることは、友達とヒーローごっこ、これしかなかった感じです。全員、仮面ライダー役になって、怪人役が皆無ということも多々あり(笑)、仮面ライダー兄弟の日常・・・みたいな超番外編ストーリーばかりを作り上げていた平和な時代でした(笑)。それもこれも白黒テレビ時代がかなり多かったと思います。
最近は昔のテレビ番組や映画作品などが、DVDとなって復刻されるケースがとても増えていますね。デジタルリマスターと称して、画質補正されクリアな画面になったことは素晴らしいと思うけど、当時の自分の家で見たあの白黒テレビの画面の映像はもう見ることはできないと思うと、なんともさびしい思いもしてしまいます。はじめて見る作品なら、思い入れ抜きで新作と同じように楽しむことができますが、自分の思い出の中に生き続けている作品がDVDできれいな映像になったものは、はっきり言って別物に感じてしまいます。これは昔のレコードと最新のリマスター復刻版CDの違いにも共通して言えることですね。スクラッチノイズはさすがにない方が聞きやすくていいけど、必要以上に音質補正されると音像が変化してしまうのでリミックスかよ!と思うものが少なくない、昨今のCD復刻にちょっと不満を持っている私です。
・・・テレビの話からCDの話へ飛びかけたまま、今回はこんなところで。(まとまりがないなぁ)
ただし、白黒テレビであった。
平成生まれにとっては、「一家に一台ビデオデッキ」というのは当たり前のことで、ビデオが存在しないということ自体、ありえないのではないか? というくらいこの30年くらいで生活の便利度は恐ろしく変化したと思う。
私が幼少の時代を過ごした昭和40年代は、カラーテレビの普及が徐々に浸透していく過渡期の時代。番組自体は放送局からカラー放送として送信されていても、受信機が白黒テレビであれば、当然ながら白黒画面でしか見ることができない。感受性が豊かな幼少期にこの画面を見て育った自分としては、白黒画面の映像に対して、ノスタルジーがものすごくあるようだ。
また、この時代、カラー放送の番組には、「カラー」という文字が画面の隅に表示されていたので、これを覚えているかどうかで、その人が大体どの年代かがわかってしまう(笑)。
私が見たテレビ番組の一番古い記憶は、おそらく「ウルトラQ」だと思います。昼間か夕方頃に見た記憶なので、すでに再放送だったと思うのですが、「ボスタング」という宇宙エイが出てくる回(第21話「宇宙指令M774」)でした。海からボスタングがザバぁ~!っと顔を出すシーンがあるのですが、なぜかこのシーンだけが、白黒画面ゆえの独特の迫力を持って自分の中にずっと残っているんですね。で、このテレビの前で自分は、ノートの切れ端にマジックペンで絵を描いている。しかも、その時、かなりうまく書けたという満足感を持っていて、母親にもそれを見せアピール。「上手ねぇ~」とベタぼめしてもらうと、おれってすごい?的な子供ならではの自己満足に包まれる(笑)・・・そんな一連の光景がセットになって今も脳裏にはっきりと残っています。
その時の絵は、ボスタングではなく、お揃いの帽子を被った二人の人物(誰かをモデルに書いたという意識はなく、ただ書いた・・・その程度だったように思います)でした。実はその時の絵は、母親が捨てずにアルバムに保存しておいてくれたということが後になってわかるのですが、そこに記載された年月日をみるとなんと、私の3才の誕生日。そういうことか。でも、後になって見ると、ホント、たいしたことのない絵なんだけど、その時の達成感というか「どうだ!」感は今もよく覚えているんです。ピュアだったなぁ、ホントに(笑)。
我が家の白黒テレビ時代は、なんと小学4年生の頃まで続くのですが、円谷プロのウルトラシリーズは、本当に画面に食い入るように白黒で見てましたね。ウルトラセブンまではリアルタイムではなくて、再放送で見ていたと思いますが、白黒画面ならではの独特の雰囲気・味わいを伴って、今も自分の中に残っており、昔のモノクロ画面の番組がたまに紹介されると、胸がキュンとなります(笑)。
しかし、白黒だけに恐怖をいだいたエピソードも結構あって、「ウルトラセブン」の中の「第四惑星の悪夢」(第43話)・・・これは本当に怖かった。セブンのエピソードの中でも、怪獣の出てこないちょっとシュールな回で、人間がロボットに支配されているという星にウルトラ警備隊のダンとソガの2名が迷い込んでしまうという内容。そこでは、人間がロボットに処刑されてしまうというショッキングなシーンもあり、その世界のトップに君臨するロボット長官の描写もすごくオドロオドロしくて、しかもダークな色調感が物語自体にすごく陰影を落として迫ってくる・・・そんな回(の記憶)でした。はっきりいって、子供が楽しむようなエピソードではありません。暗すぎます。
長官が自分の頭の一部を取り外すと、中から機械仕掛けの頭脳が見えるくだりや、長官お付きの署長さんの口から終始聞こえてくる不気味な効果音など、いまだに怖い(笑)。後に、この回の監督をつとめた人物があの実相時昭雄さんだと知って、自分の中では、いろんな意味で特別な人として刻み込まれたものです。
昭和40年代半ばになると、ウルトラシリーズのほかにもいろいろな特撮ヒーローものが登場し、石ノ森章太郎(当時は「石森」)先生の原作を元にした仮面ライダーやゴレンジャー等のシリーズがわんさか出てくるんでしたね。この時代の小学生が学校から帰ってからすることは、友達とヒーローごっこ、これしかなかった感じです。全員、仮面ライダー役になって、怪人役が皆無ということも多々あり(笑)、仮面ライダー兄弟の日常・・・みたいな超番外編ストーリーばかりを作り上げていた平和な時代でした(笑)。それもこれも白黒テレビ時代がかなり多かったと思います。
最近は昔のテレビ番組や映画作品などが、DVDとなって復刻されるケースがとても増えていますね。デジタルリマスターと称して、画質補正されクリアな画面になったことは素晴らしいと思うけど、当時の自分の家で見たあの白黒テレビの画面の映像はもう見ることはできないと思うと、なんともさびしい思いもしてしまいます。はじめて見る作品なら、思い入れ抜きで新作と同じように楽しむことができますが、自分の思い出の中に生き続けている作品がDVDできれいな映像になったものは、はっきり言って別物に感じてしまいます。これは昔のレコードと最新のリマスター復刻版CDの違いにも共通して言えることですね。スクラッチノイズはさすがにない方が聞きやすくていいけど、必要以上に音質補正されると音像が変化してしまうのでリミックスかよ!と思うものが少なくない、昨今のCD復刻にちょっと不満を持っている私です。
・・・テレビの話からCDの話へ飛びかけたまま、今回はこんなところで。(まとまりがないなぁ)
2008年3月4日火曜日
原田知世ふたたび
自分の中で久しぶりに原田知世が帰ってきた。
このたび、高橋幸宏氏が中心となって結成された新バンド「pupa(ピューパ)」のメインボーカルに彼女が決定したことが発表された。
高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦という幸宏氏にとって気心のしれたメンバーに関しては、ある程度予想の範囲内のことでしたが、まさかメインボーカルが原田知世さんとは・・・個人的に予想外のうれしい知らせでした。
幸宏さんといえば、ここ数年の活動を見ても、ソロアルバム「Blue Moon Blue」のリリースおよびライブツアーの敢行。そして、木村カエラ嬢を迎えての新生サディスティック・ミカ・バンドのアルバム制作とライブ。さらに、あの伝説の「YMO」が「HASYMO」としてよみがえり、新曲のリリースに続くまさかのワンマンライブ敢行!・・・そんなかつてない精力的な活動でファンを喜ばせてきたわけですが、ここにきてさらなるビッグプレゼントという形での新バンド「pupa」の発表でした。なんか、すっげぇとしか言いようがない私です(笑)。
3/1(土)、東京・恵比寿ガーデンホールで行なわれた原田知世さんのコンサートに、鈴木慶一、大貫妙子、キセル、高木正勝・・・といったメンバーとともに、今回、彼女の最新アルバムにようやくの参加を果たした幸宏氏も登場し、ステージ上で公式に新バンドが発表された模様ですが、残念ながらライブに足を運べなかったことがとても悔やまれます。
慶一さんや大貫さんは、昔から知世さんのアルバム制作に関わってきたメンバーだったわけですが、幸宏さんが参加するのはなんと今作がはじめてとのことらしいです。ありそうでない組合せだったんですねぇ。その昔、YMOの盟友、坂本龍一さんプロデュースによる「撫子純情」というアルバム('84)がありましたが、そこにも幸宏さんの参加はなく、その後もなぜか共演が実現することはなかったようです。(「天国に一番近い島」という角川映画での役者としての共演は果たしておりますが)
ただ、幸宏さんのラジオ番組に彼女がゲスト出演するというのはありまして、私が今でも強烈に覚えているのが、幸宏氏が1983年に担当していた「オールナイト・ニッポン」です。(オールナイトも今年40周年だそうです。私もふけるわけです。)
知世さんがゲスト出演した回(1983.9)では、なんとYMOのメンバーもいっしょに出演するという豪華さで、ゲスト総出演で演った「スターウォーズ」のパロディ版ミニドラマというのがとても面白かったんです。ヨーダ役が細野さんという、それがやりたかっただけという話もありますが(笑)、ハン・ソロは教授、幸宏さんはルーク、知世さんはレイア姫と、ほとんど役は名ばかりのお笑い路線の脚色で、大爆笑なストーリーとなっていました(笑)。あの三宅裕司氏も劇団SETのメンバーとともにこの番組のレギュラーだったので、深夜とばかりにやりたい放題やっていたのでした。YMOの3人は本当にお笑い好きなんですね。そのテイストはYMOのラストアルバム「サービス」でも発揮されていますが、それにしても、ものすごい形での共演でした。
その当時、知世さんは教授(坂本龍一氏のこと)のファンだったということで、番組へのゲスト出演が実現した(さらには「撫子純情」プロデュースにつながる)わけですが、長い年月を重ねて、こうして2008年になって、ようやく幸宏さんと「バンド」という形でコラボが実現するというのは、なんというか、まさにいい感じに機が熟してくれたなぁという感じで、今から今夏にリリース予定のアルバムが待ち遠しいかぎりです。
この「撫子純情」というアルバム、いまだに私のCD棚に並んでおりますが、坂本龍一教授の「音楽図鑑」リリース時期に発表されただけあって、 同時代の彼のきらびやかなサウンドアレンジが聞ける貴重なアルバムでもあり、手放せません。白井貴子の曲なんか、初期フェアライトの独特の音色による味つけがいまだに気持ちいいです。(完全に、知世ちゃんより教授サウンド目当てで買ったのですね)
知世さんのボーカルは、わりと線が細く、歌唱力をアピールするタイプではないのですが、ネオアコ系とかアコースティック寄りのセミエレサウンド(そんな言葉があるのかどうかわかりませんが・・・)との相性がとてもよいみたいで、そこから醸し出される独特の味わいがとても好きです。
今回の新バンドの新しいサウンドも幸宏さんならではのエレクトロニカテイストを含みつつも、アコースティックな響きをうまくちりばめた、彼女の声が効果的に生かされるサウンドになるのではと思っています。ライブをやるとしたら、夏フェスということになってしまうのであろうか?それもちとつらいな・・・。せめてホールで・・・。 原田知世のデビュー曲「悲しいくらいほんとの話」、当時、よく聞きました(懐)。
このたび、高橋幸宏氏が中心となって結成された新バンド「pupa(ピューパ)」のメインボーカルに彼女が決定したことが発表された。
高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦という幸宏氏にとって気心のしれたメンバーに関しては、ある程度予想の範囲内のことでしたが、まさかメインボーカルが原田知世さんとは・・・個人的に予想外のうれしい知らせでした。
幸宏さんといえば、ここ数年の活動を見ても、ソロアルバム「Blue Moon Blue」のリリースおよびライブツアーの敢行。そして、木村カエラ嬢を迎えての新生サディスティック・ミカ・バンドのアルバム制作とライブ。さらに、あの伝説の「YMO」が「HASYMO」としてよみがえり、新曲のリリースに続くまさかのワンマンライブ敢行!・・・そんなかつてない精力的な活動でファンを喜ばせてきたわけですが、ここにきてさらなるビッグプレゼントという形での新バンド「pupa」の発表でした。なんか、すっげぇとしか言いようがない私です(笑)。
3/1(土)、東京・恵比寿ガーデンホールで行なわれた原田知世さんのコンサートに、鈴木慶一、大貫妙子、キセル、高木正勝・・・といったメンバーとともに、今回、彼女の最新アルバムにようやくの参加を果たした幸宏氏も登場し、ステージ上で公式に新バンドが発表された模様ですが、残念ながらライブに足を運べなかったことがとても悔やまれます。
慶一さんや大貫さんは、昔から知世さんのアルバム制作に関わってきたメンバーだったわけですが、幸宏さんが参加するのはなんと今作がはじめてとのことらしいです。ありそうでない組合せだったんですねぇ。その昔、YMOの盟友、坂本龍一さんプロデュースによる「撫子純情」というアルバム('84)がありましたが、そこにも幸宏さんの参加はなく、その後もなぜか共演が実現することはなかったようです。(「天国に一番近い島」という角川映画での役者としての共演は果たしておりますが)
ただ、幸宏さんのラジオ番組に彼女がゲスト出演するというのはありまして、私が今でも強烈に覚えているのが、幸宏氏が1983年に担当していた「オールナイト・ニッポン」です。(オールナイトも今年40周年だそうです。私もふけるわけです。)
知世さんがゲスト出演した回(1983.9)では、なんとYMOのメンバーもいっしょに出演するという豪華さで、ゲスト総出演で演った「スターウォーズ」のパロディ版ミニドラマというのがとても面白かったんです。ヨーダ役が細野さんという、それがやりたかっただけという話もありますが(笑)、ハン・ソロは教授、幸宏さんはルーク、知世さんはレイア姫と、ほとんど役は名ばかりのお笑い路線の脚色で、大爆笑なストーリーとなっていました(笑)。あの三宅裕司氏も劇団SETのメンバーとともにこの番組のレギュラーだったので、深夜とばかりにやりたい放題やっていたのでした。YMOの3人は本当にお笑い好きなんですね。そのテイストはYMOのラストアルバム「サービス」でも発揮されていますが、それにしても、ものすごい形での共演でした。
その当時、知世さんは教授(坂本龍一氏のこと)のファンだったということで、番組へのゲスト出演が実現した(さらには「撫子純情」プロデュースにつながる)わけですが、長い年月を重ねて、こうして2008年になって、ようやく幸宏さんと「バンド」という形でコラボが実現するというのは、なんというか、まさにいい感じに機が熟してくれたなぁという感じで、今から今夏にリリース予定のアルバムが待ち遠しいかぎりです。
この「撫子純情」というアルバム、いまだに私のCD棚に並んでおりますが、坂本龍一教授の「音楽図鑑」リリース時期に発表されただけあって、 同時代の彼のきらびやかなサウンドアレンジが聞ける貴重なアルバムでもあり、手放せません。白井貴子の曲なんか、初期フェアライトの独特の音色による味つけがいまだに気持ちいいです。(完全に、知世ちゃんより教授サウンド目当てで買ったのですね)
知世さんのボーカルは、わりと線が細く、歌唱力をアピールするタイプではないのですが、ネオアコ系とかアコースティック寄りのセミエレサウンド(そんな言葉があるのかどうかわかりませんが・・・)との相性がとてもよいみたいで、そこから醸し出される独特の味わいがとても好きです。
今回の新バンドの新しいサウンドも幸宏さんならではのエレクトロニカテイストを含みつつも、アコースティックな響きをうまくちりばめた、彼女の声が効果的に生かされるサウンドになるのではと思っています。ライブをやるとしたら、夏フェスということになってしまうのであろうか?それもちとつらいな・・・。せめてホールで・・・。 原田知世のデビュー曲「悲しいくらいほんとの話」、当時、よく聞きました(懐)。
2008年3月3日月曜日
3ビットの記憶
最近、直前に行ったことが思い出せず、もどかしい思いをすることが増えた。
やばい・・・老化現象か!
まだそんな年でもないのだが、キャッシュメモリがサビついているのだろうか。記憶力はそんなに悪くないと思っているのだが、たった今見た(あるいは、「した」)はずの情報が記憶されていない・・・いや、その記憶情報を脳が引っ張りだせないというのが正しいのか。いずれにしてもなんかすごく悔しいです(@ザブングル)。
これはついに認知症予備軍入りしてしまったか(予備軍どころか、1軍昇格してたりして・・・それはないか・・・と信じたい )と、自分はいつまでも若くないのだなと逆に苦笑い。
しかし、納得してしまってはいけない。ど忘れということもあるではないか・・・などと自分に言い訳もするのだが、日常の仕事上の動作の中で、このところ「それ」を自覚することが多々あるのである。
特に直前に腕時計にちらっと目をやる。そして次の動作に移ったときに、「あれ、今何時だったんだっけ?」これが意外にある。それから主婦によく見られるという外出時の「玄関のカギかけたっけ?」パターン(笑)。
別にそのほかの日常的な動作一般については特にそれほどの自覚をするケースはほとんどないんだけど、なぜ、「時計の時刻」は思い出せないのか?別に自分にとっては必要のない情報だと言うのか?でも、思い出したくないイヤな思い出は頑として自分の中に居座っていたりするし・・・都合よくいかないものだなぁ。
う~ん、実は「3ビットの記憶」というブログタイトルも、そんなところから自虐的につけてみた次第で・・・。
もの忘れ防止策の一つとして、徹底的に思い出す努力をするというのがあります。時間がかかってもこれはとても大事なことらしいですね。脳が必要な記憶データにアクセスする回路がさびついているということだからそのサビ取りを一生懸命にやるということなのですね。
日々の無自覚に行われている自らの行為を反省して、もう少し意識的に関わることによって、脳の使い方も少しは変わってくるのかな?
今年は少しでもその辺に意識的でありたい・・・と改めて思う今日この頃の私でした。
やばい・・・老化現象か!
まだそんな年でもないのだが、キャッシュメモリがサビついているのだろうか。記憶力はそんなに悪くないと思っているのだが、たった今見た(あるいは、「した」)はずの情報が記憶されていない・・・いや、その記憶情報を脳が引っ張りだせないというのが正しいのか。いずれにしてもなんかすごく悔しいです(@ザブングル)。
これはついに認知症予備軍入りしてしまったか(予備軍どころか、1軍昇格してたりして・・・それはないか・・・と信じたい )と、自分はいつまでも若くないのだなと逆に苦笑い。
しかし、納得してしまってはいけない。ど忘れということもあるではないか・・・などと自分に言い訳もするのだが、日常の仕事上の動作の中で、このところ「それ」を自覚することが多々あるのである。
特に直前に腕時計にちらっと目をやる。そして次の動作に移ったときに、「あれ、今何時だったんだっけ?」これが意外にある。それから主婦によく見られるという外出時の「玄関のカギかけたっけ?」パターン(笑)。
別にそのほかの日常的な動作一般については特にそれほどの自覚をするケースはほとんどないんだけど、なぜ、「時計の時刻」は思い出せないのか?別に自分にとっては必要のない情報だと言うのか?でも、思い出したくないイヤな思い出は頑として自分の中に居座っていたりするし・・・都合よくいかないものだなぁ。
う~ん、実は「3ビットの記憶」というブログタイトルも、そんなところから自虐的につけてみた次第で・・・。
もの忘れ防止策の一つとして、徹底的に思い出す努力をするというのがあります。時間がかかってもこれはとても大事なことらしいですね。脳が必要な記憶データにアクセスする回路がさびついているということだからそのサビ取りを一生懸命にやるということなのですね。
日々の無自覚に行われている自らの行為を反省して、もう少し意識的に関わることによって、脳の使い方も少しは変わってくるのかな?
今年は少しでもその辺に意識的でありたい・・・と改めて思う今日この頃の私でした。
2008年3月2日日曜日
日曜日の秘密基地
毎週日曜日の午後、ここ数年必ず聞いているラジオがあります。しかもAM。首都圏エリアのみの放送だと思うのですが、「伊集院光の日曜日の秘密基地」という番組。(TBSラジオ)
午後の1時から5時までの放送ゆえ、ほぼ日曜日の昼間の時間を占拠しているので、番組が終わるとともに日が暮れているという感じですね。
落語家出身という肩書きを持つだけあり、瞬発力のある伊集院氏のトークは聞いていて耳に心地いい(笑)。そして、番組内容を大きく分ける4つのコーナーもそれぞれがとても面白く、ついつい引き込まれてしまい、途中でラジオのスイッチを消すことができず、最後まで聞いてしまうことになるのです。
それゆえ、自然と日曜日の午後はTBSラジオを聞くのが習慣となり、現在に至るという次第です。
4時間の番組内容は、1時間ごとにコーナー分けされていて、局アナの女性アシスタントとのオープニング・トークと2組の若手芸人が街頭インタビューしたテープの内容を競い合う1時台。
ジャンル問わず、各界の有名人の方をゲストに呼び、過去のインタビュー記事からクイズを出題する「秘密基地VIPルーム」の2時台。
ちなみに今日は、作家の大江健三郎氏。ノーベル文学賞作家と伊集院氏のトークは、二人の共通の知り合いであった伊丹十三氏のことを切り口にとても興味深い話が展開した。
人気芸人を講師に招き、わかりやすく時事ネタを解説してくれるのが「日曜ゼミナール」の3時台。そして、これが特に好きなのですが、ずっと気になっていた記憶の穴をリスナーの協力で埋めていく「ヒミツキッチの穴」の4時台。
アシスタントの女子アナの中では、みのもんた氏の「朝ズバ」でもおなじみの竹内香苗アナが特にいい。彼女の局アナとは思えないはじけぶりとノリのよさが最高で、バラエティのタレントかと思うくらい(笑)。伊集院氏との相性もとてもいいので、聞いていてとても楽しい。
また、時事ネタに関しては、ニュースを見たり新聞を読むよりもわかりやすいので、3時台はとても重宝している。お笑いならではの「たとえ方」がユニークで、笑いながらも、勉強になるというお薦めのコーナー。
記憶の穴を埋めていく「ヒミツキッチの穴」では、「あ~、あった、あった」的な昔の記憶の穴がリスナーの協力を得て、少しずつ解決に向かう過程をワクワクしながら聞いている次第。もう、少年のように楽しんでます(笑)。ときおり、70過ぎの方からの投稿もあったりして、このコーナーのファン層の幅広さを実感させられる。
そんな、自分にとって生活の一部のようになってしまったこの番組が、実はこの3月で終了してしまうという。どんな番組でも、愛着を持っている番組が終了するというのはとてもさびしいものですが、こればかりは仕方がない。さらに面白い番組が生まれることを祈るしかない・・・。
しかし、一部番組情報によれば、4月以降は同じ時間帯で、なんと爆笑問題が担当するとのこと。彼らも時事ネタを料理するスタイルが一つのウリなので、「日曜ゼミナール」路線は残してくれるものと期待している。太田氏が、昼間とはいえ、毒舌をセーブするとはあまり思えないので(田中氏がどこまでフォローしきれるのやら・・・)、そのへんのリスキーな緊張感から生まれる面白さは十分期待できると思う。
結局、日曜日の午後は今後もしばらくTBSラジオということになってしまいそうです。
今日の深夜は、これまたずっと聞き続けている二ヶ月に一度の番組「Radio Sakamoto」(J-Wave)。YMOキッズの私としては、坂本龍一さんのラジオ番組は聞き逃すわけにはいかないのです。
今年はYMO誕生30周年記念の年。リリース・ラッシュにならないことを祈るばかり。
午後の1時から5時までの放送ゆえ、ほぼ日曜日の昼間の時間を占拠しているので、番組が終わるとともに日が暮れているという感じですね。
落語家出身という肩書きを持つだけあり、瞬発力のある伊集院氏のトークは聞いていて耳に心地いい(笑)。そして、番組内容を大きく分ける4つのコーナーもそれぞれがとても面白く、ついつい引き込まれてしまい、途中でラジオのスイッチを消すことができず、最後まで聞いてしまうことになるのです。
それゆえ、自然と日曜日の午後はTBSラジオを聞くのが習慣となり、現在に至るという次第です。
4時間の番組内容は、1時間ごとにコーナー分けされていて、局アナの女性アシスタントとのオープニング・トークと2組の若手芸人が街頭インタビューしたテープの内容を競い合う1時台。
ジャンル問わず、各界の有名人の方をゲストに呼び、過去のインタビュー記事からクイズを出題する「秘密基地VIPルーム」の2時台。
ちなみに今日は、作家の大江健三郎氏。ノーベル文学賞作家と伊集院氏のトークは、二人の共通の知り合いであった伊丹十三氏のことを切り口にとても興味深い話が展開した。
人気芸人を講師に招き、わかりやすく時事ネタを解説してくれるのが「日曜ゼミナール」の3時台。そして、これが特に好きなのですが、ずっと気になっていた記憶の穴をリスナーの協力で埋めていく「ヒミツキッチの穴」の4時台。
アシスタントの女子アナの中では、みのもんた氏の「朝ズバ」でもおなじみの竹内香苗アナが特にいい。彼女の局アナとは思えないはじけぶりとノリのよさが最高で、バラエティのタレントかと思うくらい(笑)。伊集院氏との相性もとてもいいので、聞いていてとても楽しい。
また、時事ネタに関しては、ニュースを見たり新聞を読むよりもわかりやすいので、3時台はとても重宝している。お笑いならではの「たとえ方」がユニークで、笑いながらも、勉強になるというお薦めのコーナー。
記憶の穴を埋めていく「ヒミツキッチの穴」では、「あ~、あった、あった」的な昔の記憶の穴がリスナーの協力を得て、少しずつ解決に向かう過程をワクワクしながら聞いている次第。もう、少年のように楽しんでます(笑)。ときおり、70過ぎの方からの投稿もあったりして、このコーナーのファン層の幅広さを実感させられる。
そんな、自分にとって生活の一部のようになってしまったこの番組が、実はこの3月で終了してしまうという。どんな番組でも、愛着を持っている番組が終了するというのはとてもさびしいものですが、こればかりは仕方がない。さらに面白い番組が生まれることを祈るしかない・・・。
しかし、一部番組情報によれば、4月以降は同じ時間帯で、なんと爆笑問題が担当するとのこと。彼らも時事ネタを料理するスタイルが一つのウリなので、「日曜ゼミナール」路線は残してくれるものと期待している。太田氏が、昼間とはいえ、毒舌をセーブするとはあまり思えないので(田中氏がどこまでフォローしきれるのやら・・・)、そのへんのリスキーな緊張感から生まれる面白さは十分期待できると思う。
結局、日曜日の午後は今後もしばらくTBSラジオということになってしまいそうです。
今日の深夜は、これまたずっと聞き続けている二ヶ月に一度の番組「Radio Sakamoto」(J-Wave)。YMOキッズの私としては、坂本龍一さんのラジオ番組は聞き逃すわけにはいかないのです。
今年はYMO誕生30周年記念の年。リリース・ラッシュにならないことを祈るばかり。
2008年3月1日土曜日
Spring has come !
2008年春。
冬がやっと終わりを告げ、暖かくなったものの、風がつよくて花粉が飛び散る季節の到来というわけで手放しで喜べない私です。
寒さはいくぶんやわらいだと思うんですけど、花粉の影響で早くもなみだ目とくしゃみにさいなまれる始末。季節としての春はとても好きなんですけどね、こういう副産物があるおかげで、季節を満喫できないもどかしさがあります。
空を飛ぶ鳥たちや道端を闊歩する犬猫くんたちには花粉症というのはないのだろうか? 暖かくなってきたせいで、路地の真ん中で堂々と昼寝を決め込む猫の輩も出てきて、車やバイクのドライバーには時に非常に迷惑だったりします。
時刻とともに移り行く日向のエリアを求めて、気持ちよさそうにうずくまっている様は、時に愛らしいとも思うんですけど、観光地の襲撃サルほどじゃないにしても、ふてぶてしいやつも時にはいたりして、彼らには花粉症はあまり縁がないのかなと、うらやましさ半分、でもやっぱり人間でよかったという気持ちも半分(なんだかな)。
花粉症の時期をひたすらじっと我慢して耐え抜く私であります。
この春の季節というのは、ドラマや映画などで、桜が舞い散る中での「卒業」や「入学」のシーンというのが映像的にとても美しく演出されることが多く、そういうイメージ世界の気持ちよさというものがすごく自分の中にあります。そんな世界の中の人物たちには、花粉症で苦しむ姿はありません。
春に花粉症・・・ホントに必要のないジャマな存在です。
でも、春の季節になると、とても聞きたくなる曲があるのです。日本が生んだ偉大なギタリスト・大村憲司さんの1981年のソロアルバム「春がいっぱい」からタイトル曲。シャドウズのカバー曲ですが、とても美しいメロディで、桜がひらひらと舞い散る様や小川のせせらぎが感じられるここちよい曲です。アレンジ・演奏面でYMOのメンバーが参加しているのも見逃せません。
ああ、花粉さえなければ・・・。
冬がやっと終わりを告げ、暖かくなったものの、風がつよくて花粉が飛び散る季節の到来というわけで手放しで喜べない私です。
寒さはいくぶんやわらいだと思うんですけど、花粉の影響で早くもなみだ目とくしゃみにさいなまれる始末。季節としての春はとても好きなんですけどね、こういう副産物があるおかげで、季節を満喫できないもどかしさがあります。
空を飛ぶ鳥たちや道端を闊歩する犬猫くんたちには花粉症というのはないのだろうか? 暖かくなってきたせいで、路地の真ん中で堂々と昼寝を決め込む猫の輩も出てきて、車やバイクのドライバーには時に非常に迷惑だったりします。
時刻とともに移り行く日向のエリアを求めて、気持ちよさそうにうずくまっている様は、時に愛らしいとも思うんですけど、観光地の襲撃サルほどじゃないにしても、ふてぶてしいやつも時にはいたりして、彼らには花粉症はあまり縁がないのかなと、うらやましさ半分、でもやっぱり人間でよかったという気持ちも半分(なんだかな)。
花粉症の時期をひたすらじっと我慢して耐え抜く私であります。
この春の季節というのは、ドラマや映画などで、桜が舞い散る中での「卒業」や「入学」のシーンというのが映像的にとても美しく演出されることが多く、そういうイメージ世界の気持ちよさというものがすごく自分の中にあります。そんな世界の中の人物たちには、花粉症で苦しむ姿はありません。
春に花粉症・・・ホントに必要のないジャマな存在です。
でも、春の季節になると、とても聞きたくなる曲があるのです。日本が生んだ偉大なギタリスト・大村憲司さんの1981年のソロアルバム「春がいっぱい」からタイトル曲。シャドウズのカバー曲ですが、とても美しいメロディで、桜がひらひらと舞い散る様や小川のせせらぎが感じられるここちよい曲です。アレンジ・演奏面でYMOのメンバーが参加しているのも見逃せません。
ああ、花粉さえなければ・・・。
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